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「なぜ、私は母を嫌ったのか」。昭和のプロ嫁だった母に感じた、空疎な「型」の仮面

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 もっとも、嫁としての役割を真っ当するべく多忙を極めた母は、自分自身のことに構う暇などなかっただろうし、内省する心の余裕もなかったと思う。実際に、母は家族間で、ほとんど自分の意志や意見を口にしなかった。祖父母と父の命に従い、娘たちには「おじいちゃんとおばあちゃんとパパの言う通りにしなさい」と指示を出す。彼女本来の人間性が、なかなか見えて来ない。

 人の役に立つことが大好きな世話焼きで、人々と交流する際のコミュニケーション能力は長けている。それが彼女の「自己」なのだろうなと、娘である私は思ったものだが、どうしても父のマチズモのような明確な芯が掴めない。話す言葉が、嫁として、母として、気の良い奥さんとして、その場を切り盛りするために与えられた「台詞」のように聞こえる。「『良き嫁』『良き母』『良き隣人』の美談を喧伝する演劇の主人公」を見ているような気分になった私は、「この人は、私の母というよりは、私の母役の人、いや、パパの嫁役の人なのだろうな」と冷たく突き放し、ますます距離を取った。

「型」による「個」殺し

 母が良き嫁に徹するに至る心情には、それこそ時代性や彼女自身の家族の影響があったのだろうし、私自身も彼女の原風景をできれば知りたいと思っていた。母の人間性を理解したうえで、好きになったり嫌いになったりしたかった。が、ままならない。母のみならず、私自身も「林家のお世継ぎ役」として期待されていたため、小学校二年生の頃より週五回は進学塾、その他ピアノ、そろばんといった習い事で毎日のスケジュールが埋め尽くされる多忙な日々を過ごしていた。睡眠時間まで徹底管理されていた私には、母の「型」にはまらぬ本当の姿を見定める余力がなく、「もういいよ、型のままで」と諦めて、実態の理解を放棄した。

 結局のところ、母も私も、家の期待に応える活動を通じてそれぞれの「個」と向き合う交流を怠った、同じ穴の狢である。恨むべきは母ではなく、「嫁の型」「世継ぎの型」を求めた祖父母や父だ。が、彼らにもそれぞれの価値観に準ずる原風景がある。憎んで然るべきは、人間の「個」を殺し、役割の「型」を重んじる当時の家族制度、社会の風潮だ。よって、私は、家族を美談化する演劇やドラマや政策はもちろんのこと、人間を「型」にはめる社会や家族制度そのものに嫌悪感を抱く。結婚も出産も、それが「個」の幸福を増幅させるものならば挑戦してみたいが、「型」と「家」のために存在する制度であるならば全力で拒否する。

 それとこれとは別の話として、母性への愛着を順調に育めなかった娘だからこその母性嫌悪も、なかなか悩ましい問題として己の眼前にそびえ立つ。その点について、今一度熟考したうえで、次回、述べてみたい。

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