毎月、当たり前のように使っては捨てている生理用ナプキン。いまでこそ私たちは、生理中でも白いタイトなパンツを履いて外出できるし、シーツが血で染まる心配をせず眠ることができる。しかし、約半世紀前まではそれが「当たり前」ではなかった。
田中ひかる著『生理用品の社会史:タブーから一大ビジネスへ』(ミネルヴァ書房)には、日本人女性の生理における、まさに暗黒の時代が記されている。生理中の女性は、家族と一緒に食事をとらせてもらえない、あるいは強制的に村はずれにある小屋に押し込められる地域があった。「女性の生理は不浄である」とみなされていたため生理用品が発達せず、脱脂綿を当てたり、紙を膣内に詰めたり、独自に工夫する人が多かった。当然、経血が漏れたり脱脂綿自体が落ちたり、心配しなければいけないことだらけで生理期間中は活動的に過ごせない。
そんな歴史を終わらせたのが、1961年に発売された「アンネナプキン」だった。アンネ社が国内初の使い捨てナプキンを発売し、しかも堂々と新聞広告を打って全国にその存在を知らしめた。それまで「日陰の存在」だった生理用品がついに、日の目を見た。アンネ社の画期的なプロジェクトの一部始終を読んで、筆者は胸が熱くなった。人生を賭けて使い捨てナプキンを開発してくれた人がいるから、私たちはいま生理中でもアクティブに過ごすことができる。現在、日本の生理用ナプキンは世界に類を見ないほど高性能なものばかりだが、すべてはアンネナプキンから始まっている。同書の著者、田中ひかるさんは次のように話す。
田中ひかるさん(以下、田中)「女性が社会進出した歴史において、男女平等化を目指す法整備や先進的な女性の活躍と同じくらい重要なのが、使い捨てナプキンの誕生です。でも、そのことはあまり語られていないんですよね。昔は文字通り男性社会だったので、企業にも国会議事堂にも女性専用のトイレがありませんでした。そうした環境で、使い捨てナプキンもない時代、女性が外で脱脂綿の交換など経血処置をするのはとてもむずかしかったのです。さらに生理痛がつらくてもいい鎮痛剤がなかったとなれば、『外で働くのは無理だわ』と思う女性が多くても不思議はありませんよね」
女性史におけるひとつのターニングポイントとなっているにもかかわらず、使い捨てナプキンの歴史が語られない理由を、田中さんは「いまだ生理について語りづらい風潮があるから」とする。
経血は穢れで、女性は不浄だった
田中「1980年ごろまではテレビでナプキンのCMを流すことの是非が問われていましたし、2013年にNHKの番組『朝イチ』で布ナプキンが特集されたときも、『生理用品をテレビに映すとは!』などの反応がありました。女性の生理は隠しておくもの、表で語るべきものではない、という空気は根強く残っています。とはいえわたし自身、生理や生理用品について“露悪的”に語ることには嫌悪感を感じますが」
同書では、生理が男性によって“意味づけ”られてきた歴史が解き明かされる。
田中「古代から、日本では経血を穢れとし、それを流す女性の存在そのものを不浄とみなしてきました。女性は生理中に犯罪を犯しやすいと医学界でも法曹界でも信じられていて、それによって量刑が左右された時代もあります。といってもこれは昔のことではなく、いまでも犯罪学の教科書には女性の犯罪と生理の因果関係が書かれているんですよ。それが一転して、戦時中は『産めよ増やせよ』の国策のため、生理がやけに重視されたという歴史もあります」
女性の生理が、女性のものではなかった。それによって女性たちは何を失ってきたのか。
田中「ひと言でいうと、自尊心です。女性は生理があるから男性より劣る、と思い込まされてきました。かつては初潮教育で女子生徒にそう教える学校もありましたし、文部省(当時)が『生理中の女子生徒にはむずかしい問題をやらせてはいけない』と通達していた時代もあります。社会に出たら出たで、ごく最近まで『女性は妊娠して出産して仕事を辞めるから採用しない』と公言する企業もありました。さすがにそんなことをいえなくなった現代において、最後に残った女性差別の根拠が生理なのです。妊娠や出産は個人の選択ですが、生理は閉経しない限りほとんどの女性にあります。それによって身体的、精神的に変調をきたすから大事な仕事は任せられない、そもそもオンナは仕事に向いていないと信じたい人がいるのです」
生理と「女性とはこうあるべき」像
「生理は痛くて、つらいもの」という呪縛にとらわれている女性も多い。
田中「日本には耐え忍ぶ女性が好ましい、あるいは女性は耐え忍ぶもの、という価値観がありますよね。その背景には男性は文化、女性は自然という考えがあり、だからこそ女性は自然の状態に逆らうのはよくないとされます。鎮痛剤を飲むのもピルなどで生理のつらさを軽減するのも、不自然だからダメ。妊娠、出産、生理は、それが辛かろうが苦しかろうが受け入れることが当たり前で、女性は家族や子どものために耐えることが美徳と思われているのです」
現在は、身体に負担のない鎮痛剤も市販されている。なのに、『生理痛は、陣痛の練習』という根拠のない理由でひたすら痛みに耐えている人もいる。
田中「鎮痛剤の服用に反対する人のなかには、そもそも生理が軽い人も少なくないと見ています。動けないほど痛くて生活のすべてがストップするようなら、薬を飲むしかないですよ。生理は個人差が大きいので、女性同士でも理解し合えないところがありますね。男性にいたっては自分のパートナーが基準になるので困りものです。自分の妻が軽いと、女性の部下が『生理痛がつらいから早退したい』といっても、そんな大げさな、と思ってしまうんです」
生理における“自然”というと、昨今話題の「布ナプキン」「経血コントロール」と切り離して語ることはできない。messyでもたびたび疑問視されてきた“子宮系女子”たちの領域に対して、田中ひかるさんは『生理用品の社会史』で考察を重ねている。昔の女性たちはほんとうに“おまたぢから”があって経血コントロールができていたのか? いまなぜ、前時代的な布ナプキンへの回帰が見られるのか? 後篇に続く。
■月経血は「きれい」なのか? 透明化した生理と、女性の生きづらさの関係/『生理用品の社会史』田中ひかる氏インタビュー後篇