エンタメ

『シン・ゴジラ』の賛否がわかれるのは、私たちが正解のない社会での生き方を模索している証拠かもしれない

【この記事のキーワード】

諦観の中で、自分がするべきことをする矢口

そんなふわふわした中で、リーダーとして頭角を現すのが、冒頭で紹介した矢口内閣官房副長官です。ただし、彼はリーダーであって、ヒーローではありませんでした。彼にはヒロイズムが感じられないし、それどころか、多くの人が指摘しているように、家族など守るべき何かも見えてこないのです。家にも帰らず、睡眠もとらず、国のために働くモチベーションがどこにあるのかわからない、ただただ正義感だけで動いている。そんな矢口を不気味に思う人もいるようです。

しかし、あのモチベーションも、矢口を仕事オタクと見れば納得がいきます。

矢口にかかわらず、巨災対に集められた人は、どこか浮世離れしていて、人知を超えたゴジラを目の前にして、ちょっとワクワクしているような表情を浮かべているようにすら見えました。また、未知のものに挑む、専門家としての血が騒いでいるようにも感じられました。矢口も、ヒロイズムで血が騒いでいたのではなく、「仕事をしている」ということで、不眠不休で働けるほどのアドレナリンが出ていたのではないでしょうか。

矢口や巨災対の人びとをみていると、ヒューマニズムだけがモチベーションになるのではない、と感じます。この映画が、巨大なゴジラを目の前に、自分が死ぬかもしれないのに人々のために楽器を演奏したり、巨災対の中の女性の父親が元自衛官だったりして、国民のためにゴジラに特攻するといった、鍵かっこ付きの「ヒューマニズム」溢れる映画だったら、それはそれで嫌なんじゃないかと思うのです(上映当時は、『タイタニック』でも『アルマゲドン』でも涙しましたが、今はそんなシーンで感動する時期でもないですよね)。

この映画では、「好きなことをする」が一つのテーマになっています。聞くところによると、制作時、庵野秀明監督が外部の意見で左右されないように、周囲も注意を払っていたそうです。映画の中でも、「人の意見に左右されないで、信じたことを貫いてもいいのだ」ということが描かれています。

矢口のように不眠不休で仕事をしたからといって、それが望ましい結果を生むとは限りません。また「人の意見に左右されず、信じたことを貫く」ことを危惧することもわかります。しかし、少なくとも矢口は、権力をただ持ちたいという人物でもなければ、ヒューマニズムに溢れる人物でもなく、「誰も責任をとらないのなら、自分がやるしかない」という、諦観の人に見えました。そして、国をなんとかしようと思うのも、「最悪な中で自分が生きるのが嫌だからこそ、よりマシにならないか」というモチベーションがあるように見えたのでした。

私たちは正解がない中で生きている

この映画を見ていると、『踊る大捜査線』をどうしても思い浮かべてしまいます。『シン・ゴジラ』では、事件は現場で起こっているのに、『踊る大走査線』同様に会議室での決定を中心にしか対処できません。また、『踊る大捜査線』には、「正しいことをしたければ、偉くなれ」というセリフがありますが、この想定外の状況をなんとかしたかったら、矢口もこの先、偉くなるしかないでしょう。それは、今ある日本の法律の中で、なんとか良い道を示して立て直すには、自分の知識と権力を使うしかないという苦肉の策だと思われます。決して、矢口に出世欲があるわけではないように見えました。

先日、この映画とはまったく関係ないインタビューで、ある劇団の演出家が、「今の日本は、間違えるしかないから、よりマシな間違え方をするしかない」と言っていたのを聞いて、深く印象に残りました。この映画もまた、100%の正解はありません。なぜなら、どの道を選んでも人々にはゴジラの被害で死んでしまう可能性があるからです。そんな中で、より、ましな間違い方を探すにはどうするか、という話だったのではと思うのです。

どれを選んでも間違っているからこそ、その間違い方を巡って、見た人の意見が分かれたのだと思います。そこには、その人の考え方が如実に現れてしまう。この作品が多くの人々に語られるということは、現実も同じように正解のなくて、我々はそんな世の中を生きているということではないでしょうか。
(西森路代)

1 2

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。