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ビョークの「女ことば」への翻訳の違和感と、男尊女卑の歴史を持つ日本語を巧みに使い分ける宇多田ヒカル

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『女ことばと日本語』の問いを実践する宇多田ヒカル

そこでわたしが思い出したのは、宇多田ヒカルである。彼女が登場したとき、その楽曲や歌唱のクオリティとは別に、テレビ番組などでタメ口で話す姿勢にも大きな注目が寄せられていた。宇多田のファンであるわたしが彼女の楽曲を親に聴かせてみようとしたところ、ダウンタウンなど年上のタレントに対してあんな無礼な口の利き方をする人間の音楽など聴きたくもない、と拒絶をされた経験が忘れられない。ここには、「女性」と「若者」という二つの規範によって、宇多田を否定的に見る目が潜んでいるのではないか?

宇多田は、意識的に言葉づかいを使い分けていることを、ウェブサイトで綴ってきた「Message from Hikki」で明らかにしている。

「敬語ってほら、相手との距離を示すものだよね? 敬語を複数で使用するほど、距離を強調するんだよね? 言葉が与える印象の面で敬語は大事だと思うし、日本の大事な文化だけどさ(中略)いろいろ考えながら、「これは、敬語じゃないと失礼に聞こえるかも」っていうところだけ敬語を使ったり。話している人の中身を探りたいから、距離をできるだけ無くしたい、って思うのは自然だよなぁ? 普通は敬語を使うことが礼儀だけど、私にとっては敬語を使わないことが礼儀だったりする」(「Message from Hikki」1999年3月26日「賞味期限」

2001年3月1日放送の『うたばん』(TBS)では、見た目がタイプだというV6の岡田准一の登場に際し、口説き文句として「お金ならあるわよ」と言う。これは真剣に恋心を抱いているわけではないだろう場面で、言葉どおり金持ちである自分を客観的にネタにしたうえでの、ウケ狙いではないだろうか。また、『SAKURAドロップス』のビデオ撮影のメイキングでは、当時結婚前だった監督の紀里谷和明に目をつむらないよう指示されたノンカットシーンの撮影後、彼に向かって宇多田が「まばたきしなかったぜー」と誇らしげに言う様子が収められている。この映像にはほかにも「かっちょいー」と言うなど、「だぜ」という男ことば含め、乱暴さというよりむしろ彼との親密さの帯びた話し方が見て取れる。

このように宇多田は、中村氏の著作のような研究書籍を読むなど専門的に学んだかどうかは不明だが、言葉づかいがもたらす印象と時にたわむれながら社会的にどういった意味をもたらすのかという、『女ことばと日本語』の問いを個人的に実践している様子がうかがえる。マンガの登場人物のような彼女の戯画的な語りには、通り一辺倒に敬語=礼儀とする価値観に対する疑問が込められているようにも思われる。

宇多田は、2004年にアメリカのデフジャムというレーベルから英語によるアルバム『EXODUS』をリリースしている。その日本語盤には、歌詞の対訳を担当した新谷洋子との対談が収められており、翻訳について興味深いやりとりがなされている。

女ことば語尾が多用されている初期の対訳に対する宇多田の違和感と、これまでの彼女の日本語作品に比べて「ずっと女っぽい印象を受けた」という新谷の翻訳上の困難が、最後まで懸案事項だったという。しかし、語尾によって「言葉の直接の意味がちょっと薄れる感じ」「いろんな意味を含む言葉が、語尾のせいで単一の印象に縛られている感じ」を抱くという宇多田の指摘が優先され、本作の対訳では女ことばは廃されている。この対談は、彼女と新谷氏の言葉に対する真摯なアプローチがうかがえて、対訳後記も含め、おもしろいのでぜひ読んでみてほしい。

女ことばや男ことばとされる言葉づかいそのものを否定するつもりはない。宇多田ヒカルがそうするように、個人的にも様々な言い回しとたわむれながら、人との距離感を楽しむように使いたい。しかし、冒頭でふれたように、MtFであるがゆえにさらされる偏見、そしてその代表たるものとしての「オネエ言葉=デフォルメされた女ことばを使うだろう」といった言説に抵抗する。もし、英語でインタビューを受け、それが日本語訳される機会があったとして、わたしがMtFだからと言って語尾に「〜だわ」「〜なのよ」などとつけられると考えたら、ゾッとしない。

中村氏の著作から引いた近代小説の担い手たちも、むずしい文語体ではなく話し言葉に近く読みやすい口語体を推進しようとする当時の言文一致運動を背景に、「西洋の事物や人物を日本語に置き換えることの難しさ」を抱えながら、女ことばを使った創作や翻訳を試みてきた。過去を振り返りながら、現在における著名人や身の回りの人々の語りや、それらに対する自分の価値づけを改めて考え、様々なかたちの日本語に備わっている意味や印象に対して意識を払ってみることは、翻訳や通訳など、誰かの言葉を代弁する表現の担い手としての課題ではないだろうか。
鈴木みのり

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