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自分の「女性性」を肯定できない、ネガティブ依存のミソジニー脱却

【この記事のキーワード】

 だいたい、だ。男性による「優しさ」も「誠実さ」も、女性性にこそ誘導し、喜びを満たす幸福物質としてありがたくお借り受けすることが、人間同士の関係性として自然な流れではないのか。そのせっかくの丁寧なご対応の投球を、即座にしゃしゃり出て来る男根バットが「間に合っている」の一言とともに打ち返し、女性性への順応を阻止してしまうのだ。

敵は男根のみ

 私の男根は言う。

「優しさは、求めるものではない。与えるものだ。他者に優しくされるとはつまり、保護対象として見下されている。舐められている。被支配者認定を受けている。馬鹿にされている。冗談じゃない。そんな自分を暢気に許容するな。無論、支配者として他者を馬鹿にするポジションにも回るな。おまえにはそういう傲慢な弱さがあるから、真に強い人間として、誠実に、人に優しくしろ。頼られようともするなよ。それは、他者に頼られなければ自己を満たせない、意地汚い他者関与依存者のやることだ。おまえは一人、黙々と、己として生きる責任のみを果たせ」

 なかなか厳しい男根である。私に所属している分際で、まったく私に優しくないのはどういうわけか。私も一応、女なのだが、とぼやきながらも、素直に「御意」と返す。このような自己完結の「己会議」にかまける最中、女性性はと言えば、「ない」も同然の存在感の希薄さを維持したまま鳴りをひそめている。その状況は、父と幼い私が真剣に軍人訓練を行う様を、いるのかいないのか分からないくらい気配のない母が、部屋の隅よりじとーっと見ていた構図に酷似している。

 そんな家族の原風景を不気味なものとして受容している私は、父(マチズモ、愛と忍耐の表裏一体化、軍隊ファンクラブ)が大好きで、母(他者依存者、自己喪失者、良き嫁の演劇ファンクラブ)が大嫌いなわけだが、この認識を根底より覆し、「父を大嫌いになってみる」というアクロバティックな離れ業を繰り出し、己の歪な男女性のフィールドの「男女平等」を整えるより他に、まともな人間として健やかに生きていく策はないのではないかと考えるに至る。

 すべての元凶は、男根バットである。そこに愛の持論やネガティブ依存等の釘まで刺さったせいで、元より凶悪なバットが釘バットと化けて己の精神をぼこぼこに殴り続けているわけだから、相手もいない恋愛についてがたがた抜かす以前に、まずは男根を引っこ抜け!

 死んだ父への思いは未だ強力ではあるが、死んだからこそ強度を増して固着した男根をご後生大事に温存し、ぼこぼこに殴られる暴行を介して「パパ大好き♡ ずっと一緒だよ♡」と永遠の忠誠を誓うこの活動を、ネガティブ依存の最たるものと呼ばずして何とする。

 大好きだから、もう、お別れだ。さようなら、男根。しかし、自力で引っこ抜こうとしても、切って捨てようとしても、なかなかうまくいかない。それが固着である。他者である男性に手伝ってもらいたいものだが、どちらかというと空疎な女性性の方を何とかしてほしいので、出番は男根伐採後。女性に手伝ってもらうのも、モノが男根なので気が引けるが――――。

 そうだ、男根をちょん切らせたら当代一の強烈な女性が1人いた。阿部定だ。情欲の果てに愛人を扼殺し、局部を切り取った阿部定の魂を我がスカスカの女性性に召還し、凶悪な男根を「愛」ゆえに切り取る儀式を粛々と行おう。己のバトルフィールドにおける父と定の白熱の闘いを、1人、粛々と見守る42歳、夏。「死者と戯れる自己完結遊びを今すぐにやめて、お外でナンパでもして来い」と、今、独り言をぼやいたところだ。

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