4月に『長渕剛論』(毎日新聞出版)を出した批評家・杉田俊介さんと、女性性・男性性に関する映画批評をmessyで連載しているライター・西森路代さんの「男らしさ」対談。「マッチョな男らしさ」を否定する先に「新しい男らしさ」は見つかるのか。全3回。
・否定形で語られる「男らしさ」から、「男らしくない男らしさ」の探求へ
・模索される「新しい男らしさ」は、マッチョに回帰するのか。いま必要とされている長渕剛成分。
杉田 今年の10月頃に、集英社新書から「男の弱さ」についての本を出す予定です。男の中のミサンドリー(男性嫌悪)はどこから来るのか、という話からはじめています。そういえば、僕が惹かれる人って、長渕剛さんでも宮崎駿さんでもそうだけど、ミサンドリーが強い人が多い気がします。いずれ村上春樹についても書きたいし……。
西森 気になったんですけど、ミサンドリーのない男の人もいるんですかね。
杉田 薄い人もいるのかもしれないですね。
西森 確かに、いろんな人にインタビューしてみると、薄いとか濃いとかはある気はします。「ミサンドリーが薄い」ということが、「深く考えてない」みたいにも聞こえるかもしれないし、裏返すと「男性ってそもそも、何についても考えてないといけない」という圧力がある気もしてきますね。
杉田 女性も「何も考えてない方がかわいいよね」という価値観を強いられているところもあるでしょうけれど、男性の場合は一般に「ぐだぐだ言ってないで、黙って行動しろ」という規範意識はたぶん強いですよね。
西森 編集の仕事をするようになって初めて、自分の考えていることを言ってもいいんだということを知りました。会社に行っていたときは、私が派遣だったり契約だったりしたのもあって、会議などで発言する立場になかったので、あまり考えていることを出してはいけないと思っていたんです。自分の意見を言えるようになっても、それまでの経験が邪魔をして「ここまでだったら言ってもいいけど、ここから先は生意気なのでやめといたほうがいいのかな」などとすごく遠慮をするときがありました。
杉田 ああ、なるほど。男性の場合は、心の中では色々考えたりシミュレーションしていないといけないけど、それをぐだぐだ他人に言ったり説明してもダメで、黙って決断して、「あの人は実は深く考えていたんだ」ということを行動で示さなきゃいけない、という感じですかね。迷いや弱みを覚られてはいけない。
西森 でも、それこそが勘違いのような気がしますよね。「弱みを見せられない」ということが、男性性に縛られてるようにも感じますし。弱みを見せたほうが良い場合もあるし。感情的にという意味ではなく。一人で何も言わずに決断するということは、周囲が置いてけぼりになってることもありますから。
――自分の弱みを見せて、それが受容されたことはありますか?
杉田 自己嫌悪とか葛藤をなるべく隠さないようにはしていますけれども、武器として弱みを見せる、ということはないかなあ。どうだろう。