社会

「男らしさ」は死ぬまで否定するしかないのか。長渕のように矛盾を抱えながら、おだやかに生きる男性の生き方とは/杉田俊介×西森路代【3】

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――「理想の男性像」と「理想の女性像」って微妙にニュアンスが異なると思うんですね。「理想の女性像」ってなんでしょう? 例えば「女子力」があるということは、多くの女性にとって「理想像」なんでしょうか?

西森 二分するでしょうね。女子力の高い人になれば安泰って思っている人もいるだろうし。ネットを見たり、自分の記事を読んでくれる人には、そんな人はかなり少ないと思いますが、私でも、いまだに仕事とかで、ものすごく保守的で、「女子会ばかりしていたらいけない!」と本気で心配している女性にも会いますよ。そっちの生き方で幸せになれる人もいると思いますが、男性の願望を内面化してばかりいても、いつか梯子を外されるときもありますからね。だから、私の周りの人は、年齢もありますけど、女子力から自由なところで生きている人に憧れる人のほうが多いと思いますね。

――男にとって都合のいい価値観に合わせている人と、そうではない人とが対立する感じもあるんですか?

西森 対立ではないんですけど、テレビを見ていると、5年、10年たっても人気が続いている人って、女子力から解放されている女性のほうが圧倒的に多い気がするんですよ。

――そうなんですね。男性像の場合どうでしょうか。対談の最初でも話題になりましたが、「マッチョな男性性」は否定したいが、「男性性」そのものは否定したくない、と杉田さんはおっしゃっていました。ただ、いまの社会構造はやはり男性に有利です。「男性性を否定しない」ということが、ときには開き直りのように見える可能性もありますよね。

杉田 僕はつねに自分の中の男性性を否定しないといけない、という状態が嫌なんですね。それは自分自身の存在そのものを否定することだから。どうにかこの感じを食い止めたいのです。

西森 ミサンドリーを持っていること自体は悪いことじゃない気もするんですけど。

杉田 それはそうですね。でも、死ぬときまでこの感覚を持ち続けるのはやっぱり嫌かなと。

西森 以前、ハイバイという劇団の『男たち』と『夫婦』っていう舞台を見たんですけど、父親世代の権力的な部分を嫌だけど認めることで、解放されているように解釈したんです。まあ、もっと複雑だとは思うんですけど、男性の持つ嫌なところをちゃんと嫌なものだと理解して、切り離したほうが楽なんじゃないかって思ったりして。

杉田 男としての自分への葛藤や疑いが全く無いのはどうかと思うけど、アディクションみたいな過剰な自己否定や自己嫌悪もやめられたらいいな、と思うんですよ。もう少し、自分の存在や肉体をナチュラルに優しく愛したいんですけどね。それは本当に難しいな。マッチョにはならず、被害者意識にも染まらず、女性や性的マイノリティの人たちに対する暴力を意識して、なおかつ、「男」としておだやかな気持ちで生きられたらいいのにと。ただ、当面は、「あれも違う、これも違う」と自己否定を繰り返しながら、手探りで考え続けていくしかないのかな。

西森 確かに女性でも、一生ミソジニーを持ち続けて生きるのはしんどいですもんね。

杉田 矛盾は抱え続けたいし、その方がいいんだけど、ミサンドリーを持ち続けるのも嫌だなと。その辺の微妙な違いというか。まあ、一生付き合っていくしかないのかもしれないですね。もしかしたら、矛盾を抱えながら葛藤し続けること、考え続けられること、弱さも強さも抱え込んでいけること、そういう意味での「男らしさ」もあるんですかね。どうなんだろうな。まずはそういう男のめんどくささを認める、それに付きあう、というか。なかなか難しいですね。

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