
声をあげた女性の力強さ。映画『トークバック』
舞台のうえで、こんなにも人生をさらす女性たちがいる。しかもその人生は、平凡とはほど遠いものである。米国サンフランシスコのアマチュア劇団「メデア・プロジェクト」は、HIV/AIDS陽性の女性と元受刑者の女性で構成されている。偏見のなかで日々を送り露骨な差別を受けている彼女らは、劇団に参加するまでは感情にフタをし、声を押し殺して生きてきた。そんな女性たちが自分自身と向き合い、その過去を言語化し、舞台上で声を上げるまでの軌跡を描いたドキュメント映画『トークバック 沈黙を破る女たち』が全国各地で上映され、じわじわと賛同者を増やしている。
8年もの年月をかけて同劇団を取材、撮影した監督の坂上香さんは、これを「変容」の映画だという。
坂上香さん(以下、坂上)「HIV感染に至るまでは日常的に虐待、売春、薬物中毒を体験し、感染を機に周囲の対応や環境が音を立てて変わっていく……彼女たちの人生はとても過酷なので、遠い世界のことのように感じる人もいるかもしれません。が、私は長らく日本の社会で生きづらさを感じてきました。その背景には失敗を許さず、他人と違うことについて過度に厳しい風潮があります。そんななかで、私は彼女たちの声をあげる姿に希望を見ました。失敗したり他人と違ったりという理由で排除され、社会からスティグマ(負の烙印)を与えられた人でも、変容し、よりよい人生を選ぶことができるんだ、と。私たちは誰もが多かれ少なかれつらい経験しながら、すごく我慢してこの社会を生きています。目を凝らせば、彼女たちと自分とを結ぶ線がきっと見えてきます」
傷が、ケアされていなかった
いまでこそ「生きづらい」という語をよく見聞きするが、坂上さんのなかでそれは長らく、名付けられない感情として存在していた。
坂上「私が10代のころは校内暴力が激しい時代で、中学2年生のときに上級生や同級生からリンチを受けました。私にとって学校は、暴力への恐怖と切り離せない場所でした。高校卒業後にアメリカの大学に進学しても、そのときの傷はずっと抱えたまま。何十年も経ってからようやく、私はリンチなどの暴力に傷ついただけでなく、それ以上に“なんのケアもされなかった”とに傷ついていたと気づきました。当時、学校に訴えても知らん顔されましたし、親も『どうしよう』とオロオロするだけ……。演劇で自己を表現したり、日記にうずまく感情を吐き出したりして、つらい時代をなんとか生き延びたのですが、もしあのとき話を聞いてくれる場所を知っていたり、誰か手を差し伸べてくれる人がひとりでもいれば、だいぶ救われていたと思います」
『トークバック』のHIV/AIDS陽性女性たちも、誰からもケアをされていなかった。適切な医療は受けられても、社会に一歩でも出れば差別や偏見が常につきまとう。坂上さんがアメリカでHIV/AIDSについて取材を始めたのは1993年ごろ。大人はもちろん、子どもの陽性者にまで多様なケアが用意されているのを見て、感動したという。