「自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。」――西加奈子『きりこについて』

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きりこは毎日毎日鏡に向かい、自分の顔のどこが「ぶす」なのかを、検証するようになります。しかし、そこに映るのは「ぶす」ではなく、「きりこそのもの」。ありのままの「自分」でしかないのです。「ぶす」の定義に悩み続けるきりこが決定的に自分を「ぶす」であると認識するのは、「ぶす」の正反対に位置する「可愛い」女の子像を発見したときでした。大きな二重の目、すうと通った鼻筋、口角の上がった桃色の唇……自分と同じように「ぶす」であるクラスメイトのみさちゃんが理想とするヒロインの姿であり、思春期を迎えた男の子たちにモテモテの「可愛い」すずこちゃん。彼女たちの顔が「可愛い」とされるならば、その対極にいる者は、「ぶす」だ! 自分が「ぶす」であることをはっきりと自覚したきりこは、その日から鏡を見ることをやめ、人の目を避け自室に篭もり、つらい現実から逃れるために眠り続けるようになります。ラムセス二世をはじめとする猫たちだけが、きりこが笑顔を向けられる相手でした。彼らにとっては、きりこが人間界で「ぶす」だと言われていることなど、まったくどうでも良かったのです。

きりこは、自分が「可愛い」女の子になれないことに苦しんでいるのではありません。「自分」はどこまでいっても「自分」であり、ほかの誰かになることは不可能なのだということを、きりこはよく分かっていましたし、何より彼女自身がそうして生きていくことを望んでいませんでした。「きりこの体はきりこのもの」。だから、大好きな、自分の体と心が一番よろこぶ、可愛いお洋服を着て外を歩きたい。しかし彼女にぶつけられるのは、「ぶすのくせに」という心ない言葉ばかりでした。きりこのそんな姿が、そんな思いが、周囲から受け入れられないということに、彼女は絶望していたのです。

長い間、部屋に篭もっていたきりこ。しかし、十八歳になった彼女に、外の世界へ出て行くことを決意させる、ある出来事が起こります。それは、同じ団地に住む、ちせちゃんという女の子が、強姦の被害にあったことでした。きりこはそれを夢の中で知ります。脚の間から血を流して「私は望んでいない」と泣く彼女を、どうにかして助けたいと、きりこは四年ぶりに太陽の降り注ぐ外へと出て行きます。ラムセス二世と、たくさんの猫たちを引き連れて。

セックスが大好きなちせちゃんは、自分の欲求を満足させるために、出会い系サイトを利用していましたが、相手はきちんと選び、「生理中はセックスをしない」「避妊具を必ずつける」といったルールを決めて、安全な性交を楽しんでいました。そんななかで、ある男が、「生理が始まったからしたくない」という彼女の言葉を聞かず、無理やりに挿入をしてくるという事件が起こります。ちせちゃんはそれを「レイプである」と警察や周囲の人々に訴えますが、挑発的な服装の、「ヤリマン」と噂される彼女の言うことを、誰も聞いてはくれません。出会い系サイトを利用して、不特定多数の異性との性交に励んできた、自分の体を大切にしてこなかったちせちゃんが強姦されるのは、「自業自得」だというのです。

きりこは、必死に周囲と闘うちせちゃんについて、このように話します。「セックスをたくさんしてるから、体を大切にしてへん、のやなくて、ちせちゃんは、自分の体が何をしたいのかをよく分かってて、その望む通りにしてるんやから、それは、大切にしてる、ていうことやと思う。自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらんと思うから。」それはきりこ自身が、自分に対して言い聞かせた言葉でもありました。

ぶすって、何だ。

誰が決めたのだ。目が大きいのがいいって誰が? 顎の下がなだらかなのは、美しくない? では、美しさとは? 誰が決定する? 誰が?

露出の多い服を着ていれば、ただちにレイプされるのか? レイプをされれば、心を奪われたことになるのか? セックスが好きなのは、自分の体を大切にしていないこと? 体の欲求に素直なことは、「自分を大切に」していると、言えないのだろうか?

ふたりは約束をします。「自分」の欲求に、従うこと。思うように生きること。誰かに「おかしい」といわれても、「誰か」は「自分」ではないのだから、気にしないこと。

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