中年女性と恋愛・結婚の関係を結ぶ男は、なぜ称賛に値するのか?

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「すごい」のは愛の強度

 自動的に生成される恋愛感情も、関係性に発展させるためには一苦労する。なにしろ相手がいることだし、お互い好意をもっていても、生活のサイクルや恋愛関係に求めるものが合致せず、交際には至らないこともある。それこそ年齢差のあるカップルは、世間の目や揶揄を恐れ、また「自分がこんなにも年の離れた人を好きになってしまっていいのか」と自問自答した結果、相手に好意を伝えることを諦める人もいるのだろう。

 よって、世間の好機に晒される状況をものともせず、堂々と愛し合うカップルなりご夫婦は、確かに「すごい」。その愛情への敬意は、とかく人目を気にするあまりに自分の本当の愛に向き合えないネガティビティを、ものの見事に払拭する「愛の強度」にある。他方、「おいおい、まじかよ! 俺、年増の女なんか絶対好きになれないし、セックスもできねーよ、あいつまじですげーな!」といった「男としての己の趣向」を基軸とした賛辞である場合、あいつにも女にも無礼である。

 それは、友人がナンパした女性の顔を見て、「え、おまえ、あれ、いけるの? 守備範囲ひろいな、すごいな、尊敬する!」と、女性を侮蔑し、その女性を選ぶ男性をも侮蔑するかと思いきや、守備範囲の広さは褒め、「俺は無理だが、おまえは勃つのか、すげえな」と尊敬する、男が男を褒めるための「すごい」と同類である。その土台で女性のみが足蹴にされ、侮蔑され続ける。これが日本名物「ミソジニーの日常茶飯事」だ。

 冒頭の番組企画で、男性出演者が取材対象者の夫に寄せた「すごい」の賞賛も、同様のものと感じる。もっとも、企画自体は「打算のなさ」によって「愛の強度」を知らせるパフォーマンスであることは間違いないし、実際に取材対象であるご夫婦は、みなさま愛と自信に満ちあふれていた。だからこそ、男性陣の「すごい」に、軽薄かつ幼稚なミソジニーのニュアンスを嗅ぎ取ったわけだ。

 この手の反応がますます2人の愛の強度を確固たるものへと昇華させ、その幸福をお茶の間にも伝播させるものならば(または、視聴者自らが「すごい」の焦点を、男女観の固定観念や世俗のバイアスではなく、愛の強度と定めるならば)、「放っておいたらただのゴミも、うまく使えば栄養としての腐葉土になるかも」くらいの余裕をもって解釈した方が、健全かもしれない。人を理解し、真に愛するために必要なものは何か。火を見るより明らかなのだから。

 何より、女性の年齢に対する社会の偏見そのものが解消されることが最も喜ばしいわけだが、未だ解消されない現状を鑑みると、外野の反応をいちいち真に受けず、自分を信じ、相手にも誠意を尽くし、真面目に愛に正対して生きるより他に策はないと、私は考える。

 実際に、年上女性と年下男性のカップルの中には、お互いの年齢差を意識することなく、対等な信頼関係性を築く男女がいる。年齢差そのものがお互いの需要と供給を補完し合うカップルもいる。甘えん坊で未熟でちょっと頼りない、そんなところが可愛い「年下気質」、面倒見がよくてしっかりものの頼れるお姉さんとしての「年上気質」に惹かれるだけで、実年齢は問わない方もいらっしゃる。いずれにせよ、人には人の幸福の形があり、求めるものも人それぞれ。たとえ打算があったとしても、自他の需要と供給が合致しているようなら、他人がとやかく言うことは何もない。

 と、ここまで、年上女性と年下男性の恋愛を擁護する意見を書いておきながら、一点、その類型に、私個人が超苦手とする構図が存在することも記しておきたい。それは、年齢か気質かを問わず、「女性が、男性を、一人前の男に育てようとする」種の育成恋愛、または「男女の母子化」である。当該カップルが悪いと言いたいわけではない。私自身が欠落と自認している女性性の空疎さ、母性嫌悪が、ガンガンに拒絶反応を示すのだ。これについては、長くなるのでまた次回。

(続く!)

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