連載

男女が「息子と母」と化す恋愛。または「母性による育成欲求」のおぞましさ

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そんな私の「お母さん化現象」

 人様に向かって、気楽に「気持ち悪い」と文句を言っている私自身はどうなのかといえば、困ったことに、自分の女性性および母性のようなものに直面して慌てることが頻繁にあるのだ。

 元より自分と同じくらい自分勝手な男が好きな私は、各々の勝手こそを尊重し合う対等な恋愛関係をぜひとも築きたいと願っているのだが、相手のニーズに応えたり、自ずと役割分担が生まれたりするうちに、なぜか、息子の世話を焼くお母さんのような立ち位置を獲得。そんな時、「我々の関係性って、男女の恋人同士じゃなくて、母子じゃない?」と思い、嫌気が差す。

 どうして私は、自分が生んだ子供でもない男、しかも他者だからこそ恋愛感情を抱く恋人の、母親的な存在になっているのか。何の因果で嬉々としてご飯を作ったり、脱ぎっぱなしのパンツ片手に「脱いだら洗濯機かランドリーボックスに入れろって何回言えば分かるの」と叱ったりしているのか。何回言っても分からないような男を、自分がはなから選んでいるようなら、私こそが恋人に母子関係を求めていることになる。嫌だ。近親相姦的で、気持ち悪い。

 この嫌悪感の原因は、他者の母性への悪印象にあらず。自分の空疎な女性性にいわゆる母性がフィットしない不安定さ、その不快感にある。解消するためには、母子にならない男女関係を意識的に築く(あるいは、「実際に母になる」。この点、改めて別稿で記す)より他に策はない。その道理が分からなかった若い頃は、母および母性の持ち主に「嫌悪感を刷り込まれた」と思い込み、母性に呪われた被害者を気取ったものだ。

 無論、すべては、自分の解釈のせいである。今さらではあるが、悪口を言ったすべての母性の持ち主に、陳謝したい。何よりもおぞましいものは、自分の女性性・母性である。男根もかんかんに怒っている。いわく「おまえの母化は、本当に愛情か? 自慰ではないか? 自己愛由来の欲望に、好きな男を取り込もうとしているようなら、今すぐ別れて差し上げろ」。母性嫌悪とマチズモ由来の自責の念に虐められ、針のむしろの気分で関係性を終了する。

 そんな私に友人は、「いや、そうは言っても、男なんかみんな子供だし、甘えん坊だし、でかい幼稚園児なんだから、どうしたって、お母さんと息子みたいになっちゃうところはあるよ。男と女の得意な役割分担も違うし、お母さん化ってある意味、順当で普通のことなんじゃないの?」と窘める。が、男たる者として育てられた当方は、納得がいかない。男の分際で、女に甘えるな。私は実際に幼稚園児のころから、父にも母にも甘えなかったぞ(本当は甘えたかった逆恨み)。

 別の友人いわく「じゃあ、ナガコがお母さんにならないような、それこそ子供でいられるような、お父さん的な男と付き合えばいいんじゃないの?」。もういいよ父性は! 実父の置き土産でいっぱいいっぱいだって。と、書いて、改めて、私が男性に求める関係性は欠落を補填し合うものではないことに気付く。欠落は欠落のまま、それも私の一部として、ただ認めてほしいだけなのだ。相手の欠落にも干渉したくはない。それもまた彼の一部として認めたいのだ。

 かくして誰とも付き合わない、誰の面倒も見ない、誰も育てない40代となった現在。若かりし頃は分からなかった困惑や焦燥感の原因が明らかとなり、ようやくパズルのピースが整ってきた感がある。人間には、ある程度の経験の蓄積と精神年齢に到達しないと見えない風景がある。あの頃は見えなかった風景を、確かに現在、私は見ている。私には、頑に拒絶してきたものが多すぎる。原因を掴んだ今こそ、取り戻す。

 と、いうわけで、私は己としっかり正対する衛生活動に忙しいので、中年女性への加齢蔑視や恋愛感情に対する揶揄ごときにかまっている暇はないのだ。前コラムで記したカップルの愛の強度を信じ、より豊かな人生を満喫するのみ。最後に、1人でも多くのみなさまが、健やかな関係性のうちに幸福を獲得されますように。

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