「僕だって才能はあるけど妻のために仕事を我慢している」夫婦間のパワーバランスと嫉妬/紫原明子×枡野浩一【4】

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紫原 そこで奥さんの、なんていうんですか、“妻ストップ”? あるんですよね?

枡野 まさに妻ストップですよ! 妻ストップって言葉がない時代から、妻ストップ受けてましたよ!(編註:正確には「嫁ブロック」が一般的な言葉)

紫原 それがなければもっと売れてた、もっと出来てたって……。

枡野 実際に朝日新聞の漫画レビューのコラムを降りたこともあって。それは理由はいっぱいあるんだけど、その一番の理由は、彼女が不機嫌になるんですよ、なに書いても。漫画家を褒めても、けなしても、な~んかすっごい不機嫌になるんです、毎回。自分以外の漫画家のことを褒めたり、書いたりするのが嫌みたい。あと僕が好きな漫画家が彼女は嫌いで、怒る。

紫原 枡野さんは奥さんの才能に惚れていて、もし奥さんから才能を評価されていたら嬉しかったですか?

枡野 すごいヘンなんですけど、いま思うと、「(あなたの)からだめあてでつきあってるんだけど、そんな私でも、この本はよかったんだよ」って、褒められたかったんだと思う、きっと。いま思えば馬鹿みたいだけど。「枡野くんには興味ないけど、この本はよかった」っていわれたくて、(自分の)新刊を出すたびに(妻に)あげてたんだけど、離婚後にダンボールいっぱい(に詰め込まれた状態で)全部返ってきて……。ページにまったく空気が入ってなかったんですよ。パリパリなの。めくっても、「ああ、これ初めて読む本なんだなあ」って感じで。そこまで片思いだったのかって。

紫原 逆になんで結婚続いたんですか!?

枡野 (結婚が続いたといっても)ほんのちょっとですよ。99年くらいに(枡野と結婚前の奥さんが)ふたりで手をつないでる姿が『噂の真相』[注]っていうのに載ったんですね。

紫原 ほお~。

枡野 そのとき僕、最初のエッセイ集が出て。短歌の本出して2年目くらいだったんですけど。そこから2000年に息子が生まれて。でも2003年には完全に籍を抜いてて。1年間別居してるから、2002年にはけっこうダメになっていたと考えると、幸せだった時期は1~2年ですね。

紫原 はぁ……。その幸せだった時期に、奥さんから枡野さんに供給されるなにかはあったんですか? 「いい文章、書くね」とか「いい歌、書くね」とか?

枡野 お互いに仕事を手伝いあってはいて……。彼女が『タラチネ』って本を出したことがあって、それは僕の影響で……。“たらちね”って言葉は僕から(教えた)。(短歌の)枕ことばなんですね、母にかかる。でも僕が「タラチネってやったら?」って言ったわけじゃないけど、そう影響しあってて。僕の『もう頬づえをついてもいいですか?』[注]っていう本は奥さんが(タイトルを)考えてくれて。ふたりで思いついたときは笑いあいましたね。「もう頬づえをついてもいいですか?」って爆笑して……。そんな幸せだったときの想いが……。でも、その本が出たときには、もう離婚してたから……。

紫原 儚いですねえ。

枡野 その本は連載2年間やってたから、最初のほうは幸せなのに、だんだん不幸せになっていくんですよ。

会場 (笑)

紫原 美しい思い出がどんどん悲しく……。

枡野 その本、偶然、今日持ってるんです。『もう頬づえをついてもいいですか?』はすべての短歌に「愛」って言葉が入ってるから。だから今日(『愛のことはもう仕方ない』に)サインするときに、この本(の短歌を)サインしようと思って。

紫原 その「愛」が「仕方ない」ことになってしまった……。

枡野 まぁねえ……。どうなんでしょうねえ、その辺は。この辺のことはまた考えが変わるかもしれませんけど……。

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