最盛期の1965年には、邦画長編452本のうち188本が「成人映画」指定されたという。ちなみに2015年にR18+に指定された作品は60本。いずれも成人映画専門の映画会社によるものだ。
そうした時代の流れからして、1969年に【黒い雪事件】、1972年に【日活ロマンポルノ事件】が起きたのはむしろ当然のことといえる。
平山「この二つの事件における映倫の姿勢が、表現の自由をめぐって権力と戦ってきたわれわれの存在意義性を象徴しています。前者では、ヒロインが全裸で疾走するシーンが問題になりました。いまの感覚なら猥褻とも思わない人が多いレベルのものです。後者では4本の作品が問題視され、監督、配給会社だけでなく、映倫の担当審査員も起訴されました。いずれも刑法175条に抵触し、猥褻物の陳列を幇助したというのが起訴内容です」
警察の目的は、明らかに見せしめ。「映画界のポルノ傾斜に対する警鐘的効果をねらった」という記録もある。それに対して映倫は一貫して表現の自由を主張した。映画業界も全面的に、映倫を支持。後者の事件では8年に及ぶ裁判を戦っている。
平山「そもそも、刑法175条の“猥褻”の定義がとても曖昧ですよね。同じ事象を見ても猥褻に感じるか否かは、人によって違います。結果、どちらの事件も映倫は無罪でした。特に『日活ロマンポルノ事件』では東京高裁で、映倫の審査機能、自主規制機関としての真摯な努力が認められたんです」
しかしその反動で、「性器、恥毛を描写しない」など従来よりもはるかに厳しい審査基準が加わることになる。
平山「でも、それも1991年に公開されたフランス映画『美しき諍い女』をきっかけに変わります。この映画では何人もの女性モデルが全裸で映しだされるシーンがあります。そこに、猥褻の意図はありません。それまでは描写主義だったので、どういう意図があろうが、ヘアが映っていたら即アウト。それが、『性器恥毛は原則として描写しない』に変わりました。この『原則として』がいかに大事か。主題、題材、文脈を考慮したうえでセーフになるヘアもある、としたことで“ヘア緩和”と報道され、大いに話題となりました」
R15+とR18+の性表現はどう違う?
時代とともに変わってきた映倫の性愛描写における審査基準、平山さんは「年々ゆるくなってきている」という。いまやR15+の映画でもヘアヌードOKとなっている。
平山「でも、セックスにおける表現において、体位やエクスタシーの表現の仕方、時間的長さ、回数には慎重さが求められるのがR15+です。これがR18+になると激しい体動や性器愛撫、挿入、オーラルセックス、射精などを擬似により強く連想させるシーンもOKとなります」
この「擬似により」は、映倫にとって譲れない一線である。
平山「成人映画といわれた時代から、ピンク映画も日活ロマンポルノも“ポルノ”ではないんですよね。当時の制作陣は、濡れ場があっても本気で映画を撮っていました。そこでは当然、ストーリー性が重視されます。ここでいうポルノとは、ストーリー性がなくただ本番行為を見せるだけの作品です。映倫では、ストーリーのない作品は区分適用外。これは性愛にかぎっての話ではなく、ただ暴力を映し出すだけとか、“表現”のない作品は基本的に映画とは別なものです」
だんだんとオープンになってきたとはいえ、日本では映画における性愛描写が諸外国に比べまだまだ保守的だ。