子どものささやかな楽しみすら奪う人びとにとって、「貧困」は差別のためのツールにすぎない

【この記事のキーワード】

「生活保護のくせに贅沢だ」という社会

おそらく女子高校生を非難する人たちの多くは、自分たちがイメージしている貧困像と異なるために、彼女を批判しているのではないでしょうか。しかし、目で見てわかるような「わかりやすい困窮者」以外は「貧困ではない」という認識は、日本の貧困問題を甘く見積もりすぎています。

日本の貧困問題で注目すべきは、相対的貧困率を決める「貧困線」が下がり続けている、つまり中間層も含めて、日本全体の世帯収入が下がり続けている現象です。もはや問題は、所得格差だけではなく、日本全体がおしなべて貧しくなっていることによって、ひとりひとりの貧困リスクが高まっていることにあるのです。

クーラーの無い家に住み、50万円の入学金が払えずに進学を諦めたこの女子高生は、まさに社会全体が貧しくなっている日本の社会構造の犠牲者です。困窮状況にある人の多くが労働に従事し、できる限りの賃金を得て生活しています。「生活保護を得てズルをしている」とか「生活保護が働くインセンティブを奪っている」などというのは全く的外れな指摘であり、現実的には、働いても働いても、生活保護を得てもなお困窮生活から抜け出せないような状況にあるのです。

これは、生活保護や母子家庭支援などの支援策の制度設計の問題でもあり、貧困であること、母子家庭であることそのもので差別されるような社会の問題でもあります。そしてなにより、困窮状況にあるということを口にするだけで「遊ぶ金はあるくせに贅沢だ」などと罵るような、社会全体の問題でもあるのです。

「マジョリティ」しか想定しない生きづらい社会

いまの日本は、たとえ中間層であってもすぐ貧困に転落する可能性があります。また、貧困の連鎖を断ち切るための制度としてデザインされていない使い勝手の悪い公的援助がいくら続いても、すでに困窮状態にある人が貧困から抜け出すことは困難です。誰もが貧困リスクにさらされているのに、なぜ多くの日本人が貧困を自分事と捉えずに、貧困の当事者を非難するのでしょうか?

不景気で誰よりもあおりを食うのは、すでに困窮状態にある人や非正規雇用状態にある人です。日本は「正規雇用で定年退職まで働く男性(それに準ずる働き方ができる女性)とその妻」によって社会システムがデザインされてきたため、「正規社員男性とその妻」タイプの世帯が、日本社会におけるマジョリティになっています。マジョリティというのは「数が多い」ということだけを意味するのではありません。「マジョリティのために作られている」社会で恩恵を受けられるのはマジョリティですが、そこではマジョリティではない人たちのことは想定されていません。つまりマジョリティに該当しない人びとは、それだけで様々な不都合に晒されうるのです。

たとえば、日本企業(公官庁も含めて)の多くは、フルタイムで働けて、ほとんど有給も取らず、長時間労働ができる「正社員男性」を想定しています。そのため子育て中の女性に様々なケアが必要になることは想定されません。当然、育児があるぶん「正社員男性」と同じように働くことは困難になり、仕事を辞めざるを得ない状況に陥りやすくなるでしょう。ある個人が「働きづらい」「生きづらい」と感じることの多くの原因は、「自分のような人間を想定していない社会」で生きなければならないからです。

1 2 3

「子どものささやかな楽しみすら奪う人びとにとって、「貧困」は差別のためのツールにすぎない」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。