相手の靴を履いてみること
柊 人は誰でも、「自分が一番正しい」って思っているんですよ。自分が一番正しいし、自分のレンズが一番クリアだって思っている。これは別にいいんです。でも、だからこそ、他人のレンズの汚れだけは目についてしまって、この人のここを拭いてあげなきゃって思ってしまう。でもその行動は、ただの余計なお世話なんですよね。だって、その当人は自分のレンズはクリアだと思ってるわけだから。思わず言いたくなっちゃうんですけど、それって「間違ってるから、教えてあげなきゃ」っていう自分の中の正義感に基づいているもの。そして、正義ほど要注意なんです。というのも、「正しい」と思った途端に、本当にそれが正しいかどうかを審議することなく、みんなに押し付けたくなってしまうものだから。
――戦争も、自分が正義だと思っているからこそ、攻撃の繰り返しになってしまうものですよね。
柊 だから、改めて考える必要ってありますよね。本当に自分が唯一正しいのかって・・・・・・正義の反対って、悪じゃなく、もうひとつの正義。それぞれの考える正義が違うから意見がぶつかる。「相手が悪い、自分が正しい」って思っちゃうと、もうそういうふうにしか捉えられなくなってしまいますしね。
――正義心から怒りを発生させてしまった時の対処法はあるんでしょうか。
柊 まずはやはり、自分の考えを紙に書く。これは自分の価値観の中で正義だと思っていることなので、すぐに書き出せると思います。そして、悪だと思っている相手の考え。これも頑張って想像して書くんですよ。この時のポイントは、自分が相手と全く同じ学歴・収入・社会的地位があったら、もしかしたら、自分もそういう風に行動してみるかもしれない・・・・・・と考えてみるんです。
――そうすることで、相手の考えに近づけるものなんでしょうか。
柊 アメリカに“put yourself in someone’s shoes”ということわざがあって、直訳すると「相手の靴を履いてみなさい」という意味。相手の靴を履いた(相手の立場に立った)上で、自分の意見を考える。最初は相手の気持ちなんて考えることさえ苦痛だと思うんですけど、頑張って考えると、妥協点や自分の正義感の偏りが見えてきます。自分の正義と相手の正義をフェアに並べた状態で、どこか歩み寄れる点はないのか。そういうふうに考えていけると、対立の解消にも役立つと思いますね。