連載

勝手に輝こう!「女性が輝く」ための社会制度の変革とは異なる「気持ちの問題」

【この記事のキーワード】

 出産が人口の問題に関わることは事実だが、その前に、妊娠するためにはセックスをしなければならないわけで、男性との性交渉に対するトラウマ由来の嫌悪感や苦手意識がある者にとっては「当たり前の生殖活動」として受け入れ難いこともあるのではないか。

 人工授精であっても、そもそも自分が「母になる」こと、ひいては相手の男性と「家族を築くこと」自体に抵抗感を持つ者もいるのではないか。かくいう私こそが、子供を産むことそのものよりも、「母性を持つ自己を嫌悪する」という精神性の持ち主である。これは、父性由来の男性性の成分が、自己内の女性性を強く抑圧し、徹底的に虐め抜くという、我ながら苦しい構造によって成り立っている。

 この「独りジェンダー相撲精神」を形成したものが、まずは家族環境や父母とのコミュニケーションだ。次いで、学校や集団社会で「男らしさ」「女らしさ」のジェンダー観を知り、違和感を覚えたり、「女らしさ」の強要に怒ったり、男でも女でもどっちでもいいから「私らしい」生き方を貫き通すことに執念を燃やしたりする活動によって育成した、私ならではの【個】の価値観である。

 精神性の土壌に母性や女性性がうまく定着しなかった私は、「母になることが、気持ち悪い」。母性信仰も、家族信仰も「気持ち悪い」。好きな男性と「絶対に家族になりたくない」。今となっては、この嫌悪感情は不自然かつ不健全なものであると自覚しているので解消に努めるが、私事を根拠に申し上げれば、この「気持ち悪さ」を鑑みず、「機能があるのだから産め」と強要されることは、機能に【個】が迫害されている状態を示す。つまり、暴力である。

 私同様と限らずとも、出産には、性交渉、男性との関係性、結婚、家族観、母観等々、数々なファクターがついて回るので、どこかピンポイントで拒絶反応が起こり、出産に否定的な感情を抱いている人もいるのではないだろうか。「子供は産みたいが、結婚したくない」「人工授精なら産んでもいい」等、それぞれの事情や感情についても視野に入れた「幸福の多様化」こそが、「すべての女性が輝く」社会を作る理念であると、私は考える。

制度と対を成す“気持ちの教育”

 同白書にて続く文言には、「経済成長のために、女性の労働力に期待する」とのメッセージも認められている。つまり、「すべての女性が輝く社会」とは、「女性が人口を増やし、経済効果をも促進する」ための女の駒扱いを差す。

 もっとも、国民のために“制度”をより良く整えることが政の使命である以上、いちいち個人の“気持ちの問題”に焦点を当てていては政策が進まない。進めるためには、「すべての女性が輝く社会」のスローガンのもと「少子高齢化」を打破し、「経済成長」を目指すと謳うことによって、街場レベルで未だ確かに存在する男性優位な社会全体を説得する必要もあるのだろう。

 男性が求める育児休暇を同性である男性が揶揄し、政府の推奨する女性の育児と労働の両立もままならない現在。政治や制度には引き続き頑張っていただくとして、当の男女がそれぞれの「幸福の多様性」を理解し、尊重する意識を持たなければ、個々の人生の充実はあり得ない。

 そのためには、“気持ちの問題”の多種多様性を訴える教育や啓蒙活動を、“制度”と対を成す両輪として並走させるべきではないだろうか。現に日本は国際的にも教育や医療、生活水準等を整える“制度”への評価は高い。『Human Development Report 2015(人間開発報告書2015)』にて発表された、『国連開発計画のジェンダー不平等指数(GII)』(保健分野、エンパワーメント、労働市場により査定)の2014年の日本の順位は、155カ国中26位である。

 他方、世界経済フォーラムの『ジェンダー・ギャップ指数 2015』のランキングは145カ国中101位と低評価だ。この順位の差は、男女ともに幸福に暮らすための“制度”を作ることは得意だが、男女の対等性や個の尊重への本来的な理解がまだまだ街場に浸透していない日本という国の現状を示している。

 未だ、男尊女卑の発想より女性を軽視する男性や、古のジェンダー観による「男らしさ」「女らしさ」の判断基準より、そこに当てはまらない男女を蔑視する中高年にも遭遇するが、現在は、“制度”からしてそのジェンダー・ギャップを覆そうとしている時代である。

 自分の肉体の性、ジェンダー観、精神性の性意識が必ずしも合致せずとも、悲観せず、むしろそのギャップこそを「自分らしさ」として楽しむことは可能だし、すでに実践する人間はいくらでもいる。無論、ギャップへの無理解を恐れるあまりに自分に正直に生きることがままならず、窮屈な思いをしている人もいらっしゃることだろう。そういう人たちに向けても、多種多様な人間を理解するための学校教育(性教育を含む)や街場の啓蒙活動を強化した方がいいと考える私はといえば、幸いなことにライターである。私自身が個々の“気持ちの問題”と向き合うための執筆活動に精を出し、その重要性を訴えて参る所存である。男も女も、誰に言われるまでもなく、大手を振って、勝手に輝こう。

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