「エリート男子学生」であることを利用した犯罪
「エリート男子学生」という特権について分解して考えてみましょう。
日本は表面的には男女平等とされながらも、結婚が可能になる年齢が男女で違う、強姦罪対策の遅れ、結婚による改性の事実上の強制、就職差別、職場での昇進の遅れ、男女賃金格差、圧倒的な非正規雇用率など、女性であることが生きる上で不利益につながる、男性優位、男性本位の社会、男性であることを前提にデザインされている社会です。このような社会では男性であるというだけで「マジョリティ側」つまり既得権益側にいることになります。
その上で、「エリート大学の学生」という記号は、さらなる特権となります。「エリート大学の学生」という記号から、私たちは「お金持ち」「勉強ができる」「将来は良い就職をする」「将来は出世する」ということを連想します。それだけ「エリート大学」という記号は、彼らが所属する(であろう)社会階層上位という特権のチラ見せにもなり得るのです。
社会階層上位というのは、社会・文化資本、経済資本を独占する既得権益です。社会階層上位の人々が長年かけて蓄えてきた文化・経済資本へのアクセスが生まれたときから約束されていた子どもたち、あるいは自分たちの努力によりその既得権益層の資本へのアクセスを得たのが「エリート大学の学生」なのです。
そして、大学ランク別・男女別の収入では、エリート大学出身者であっても男女の賃金格差がみられ女子学生には同じような既得権益・特権がありません。「エリート大学学生であり、かつ男性」であるということは、それだけ社会階層上位の「既得権益」「特権」をほしいままに利用し、それにより守られている立場にいるということなのです。
人はエリートの持つ特権や既得権益に惹かれ、そこに入りたいと望みます。今回の事件の「エリート男子学生」は、多くの女子大生が彼らの特権、既得権益に惹かれることを十分に想定した上で、「東大生・女子大生の交流サークル」のようなものを作り、「エリート大学」の特権・既得権益に惹かれて入ってきた女性を「尻軽」「やりまん」などと言ってだまし討ちにし、暴行を加えたのです。これは「いたずら」で済ませられるようなものではありません。彼らは社会階層上部の特権・既得権益を最大限に利用し、女性に暴行を加えた卑劣で狡猾な犯罪者なのです。
このような事件は後を絶ちませんが、日本のエリート大学が率先して状況を改善しようというような動きは全く見られません。アメリカのブロック・ターナーの事件では「(大学生ならよくある)大した事件ではない」「本当は真面目ないい子」というような、性犯罪を許容してしまう社会の雰囲気が、罪を軽くしてしまったようなものです。 松見被告たちが行ったことに対して「本当は真面目」「強姦したわけではないし」などと、今回の事件を矮小化するようなことにならなければ良いと願います。ネットではすでに、被害者女性のことを「なんでのこのこついていったのか」とバッシングするようなコメントも見られますし、松見被告について「むしろ逆恨みされた被害者」というコメントも見られます。
日本にせよアメリカにせよ、エリート男子学生による性的暴行事件が後を絶たないことを考えると、「大したことない」「本当はいい子なんだから」「男の子だから」「ついて行った女性も悪い」という社会の、大学内の雰囲気こそが、こうした事件の背景だと言わざるをえません。
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