「女だってその気はある」と、性暴力の正当化に腐心する人たち

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不倫や略奪愛といった願望を持ちつつも、一歩手前で踏み留まっていた主婦たちの貞操観念を大いに狂わせた。

大木信景(『SAPIO』2016年10月号/特集「日本人を洗脳したあのドラマ」)

 先の高畑の例がそうであるように、ある一つの事件について取り上げる際、周辺にバラついている情報をつなぎ合わせてパズルだか双六だかを完成させるような報道が続く。あらゆるメディアが質より量で勝負しなければ首が回らない運営方法をとっている現在、今回のような性方面での歪んだ解釈が、適切に論議されることなく、平然と垂れ流されてしまう。

 梅沢の「やらせておけば」発言に、どうもどこかで聞いたことがあるなと感じたので、記憶をたどってみれば、それは文化庁長官時代に三浦朱門が発した「強姦する元気もないような男はだめ」かもしれないし、或いは橋下徹がアメリカ海兵隊に対して「もっと真正面からそういうこと(風俗のこと・引用者注)を活用してもらわないと、海兵隊の猛者みたいな性的エネルギーをコントロールできないじゃないですか」(2013年5月13日、退庁時のぶらさがり取材)かもしれない。「男って生き物はやっぱり女とヤラないとな、ガハハ」と男同士で認め合う行為が常態化しているからこそ、梅沢のあの発言は、その場で一旦許されてしまう。被害に遭った女性側の落ち度をまさぐる勘繰りが止まらなかったのも同じ理由に思える。

 『SAPIO』が「日本人を洗脳したあの人気ドラマ」という特集を組んでいる。特集の紹介文によれば、テレビドラマというのは、その影響力の大きさゆえに「視聴者の側が知らず知らずのうちに洗脳されてしまうことがある」という。2004年に放送された東海テレビ制作の昼ドラ『真珠夫人』について評したのが、先に引用した箇所。あのドラマは、すっかり主婦たちの貞操観念を狂わせてしまったらしい。

 夫を恨んだ妻が「牛革財布ステーキ」を焼いたり、「たわしコロッケ」を出したりするという凄まじい愛憎劇は、もはや笑いの境地に達していた。このドラマは、出来事を鵜呑みにするというより、豪快に振り切ったストーリー展開に清々しさを覚えていたはずなのだが、10数年も経つと記憶は遠のき、うっかり、「人の心の闇、酷い部分をデフォルメした昼ドラに、自らの暗い情念を刺激された主婦は多いのではないか」という評価に頷きそうになる。驚くべきはそこからの飛躍。こういった昼ドラによって「男にとっても『人妻』が都合よき性の対象に映るようになり、共犯関係の前提たる共感関係が成立したのである。昼ドラの罪は大きい」という。何じゃそりゃ。

 昼ドラを観た主婦たちがすっかりその気になったもんだから、こっちも性の対象として人妻を迎え入れたぜ、というのである。1人の書き手の見解とはいえ、こうして「女だってその気はあるじゃんか」という場面や言葉を引っ張り上げることで、オッサン雑誌は、己の性欲を正当化しようと試みる。

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