幼少期、“立ちション”に憧れていた。よちよち歩きを始めた頃より、父に「男たる者」として育てられた私にとって“立ちション”は、自分にも出来て当然のはずなのに、肉体構造的にも、マナー面においても、「女だから」という理由でままならない、悔しい存在の象徴だった。
実際にトイレで練習してみても、うまくいかない。“座りション”をせざるを得ない。そんな自分が情けない。「男にあるまじき事態だ」と、大真面目に絶望した。もっとも、現在は“座りション”派の男性も多く、公共の場での“立ちション”自体が違法行為となったわけだが、私が子供時代を過ごした昭和後期には、河原や草むらで気軽におしっこをする男児の姿を見かけることが多々あった。その度に「なんて自由なんだ。ずるいぞ、男児。不公平だし、うらやまし過ぎる」と嫉妬したものだ。
また、駅や病院等の公共機関にて、「男子トイレ」と「女子トイレ」が別々に設置されている状況を初めて目の当たりにした時には、ゲシュタルト崩壊よろしく混乱した。トイレといえば、自宅や友人の家にある男女共用のものしか知らなかったので、まずは「分かれている」ことに驚いた。次いで、「自分には、女子トイレを使うより他に選択肢がない」という事実に、衝撃を受けた。
私は自分自身を「男だ」と思い込んでいたわけではなかった。性別が女性であることは把握していたし、おちんちんが付いていない以上、この肉体が男性仕様ではない事実も理解していた。が、父のスパルタ教育によってそこそこ立派な男根精神を植え付けられていたため、「自分は女だが、男でもある」と認識していた。
いや、むしろ「男か」「女か」をまったく意識していなかったのだろう。よって、トイレの性別設置を前に、「スカート姿の人型を赤く塗りつぶしたサインを掲げる女子トイレを利用する私は、女なのだ」と社会に改めて知らされ、「え、そうなの?」と驚愕したのだ。
刷り込まれたカリキュラム
以降、幼稚園や小学校の初等教育における運動会の紅白戦、男女別整列、上履きやランドセルの色識別といった「男女の差異を明示するコード」に遭遇する毎に、「私は女であるのだ」と自覚させられ、窮屈な思いをした。端午の節句で兜をかぶりたくとも許されず、桃の節句のひな祭りにお祝いと称し、ファンシーな色合いの菱餅を食べさせられることが退屈で、自分の自由選択を蔑ろにされているような気分に陥った。
上記は、私個人の体験談だが、初等教育で初めて「男女の差異を明示するジェンダー・コード」に遭遇し、自分の性を男女いずれかのものと認識したり、どちらか一方の決めつけに反感を覚えたりすることは、多くの人々にとっても馴染み深い経験の1つではないだろうか。
そのコードの“刷り込み”が、いわゆる「男らしさ」「女らしさ」の解釈を生み、社会のジェンダー・ギャップを増長させる基礎的な価値観として機能しているのではないか。そんな話を、同年代の友人男性と交わした時、彼が教えてくれたキーワードが“学校教育の『かくれたカリキュラム』”である。