恋愛という仕組みが根付いていない。よく「日本は戦後、お見合い結婚から恋愛結婚に移行した」という話を聞きますが、恋愛結婚も特殊な状況でしかない、ということなのでしょうか?
「恋愛結婚が意味するのは、主体が親から本人に変わったということです。いままでお話してきたような“恋愛”とは別の話なんですね。ただちょっと気になるのが、ここ近年、親とのつながりが強くなってきているということなんです。こちらも連載で取り上げましたが、つながりが強くなった親の期待に応えようとすると自分の主体性や欲求を肯定できなくなるんですね。これはデータではなく、私の周囲でみられる話なのですが、洋服や食べ物の好みに親の影響が色濃く出ている人は少なからずいます。学校でも、主体性や個性を大切にするよりは、周りと協調することを要求することがほとんどですよね。主体性を発揮するのがどんどん難しくなっているんでしょう。実際、帰属意識が強かったり、主体性を発揮するような人達は恋愛が活発になっているんです。また、日本性教育協会の『青少年の性行動調査』を見ると、運動が得意な人は恋愛が活発な傾向も見えるようですね」
恋愛する人・しない人が分極化していきそうですね。「恋愛したいのに出来ない」ではなくて、「そもそも恋愛に興味がない」人が今後、今回の調査以上に増えていくのかもしれません。
「社会はどんどん変わっていきます。でも“親しい関係”が、いまは恋愛と結婚しかない。一緒に食事したり、映画を見に行く相手はいる、でも恋愛や結婚に価値を見出さなければ、付き合うこともないし、結婚することもない。バブル期だったらそれらを『恋愛』と呼んでいたのかもしれません。ただ、いまは友達関係であっても、二人で遊びに行くことは普通ですよね。『付き合う』となったら、プレゼントしたり、結婚を考えたり、コミュニケーションにおける社会的な要請が増えて面倒になるので、『このままのほうがいい』と考えるのも納得いきます」
ここまでお話を聞いてると、こうした調査を「衝撃のデータ! 恋愛できない若者が増えている!」などと紹介して問題視すること自体に疑問がわいてきました。永田先生はこのニュースをどう受け止められたのでしょうか。
「『恋愛ブーム』に踊らされて自分を見失いながら血眼に恋愛しようと頑張るより、人間関係を冷静に見つめられている今のほうがまともなんじゃないですかね。先ほども述べたように、恋愛やセックスは、社会的文脈の中にあるものですから、当然いろいろな形があるし、時代によって変化していきます。アメリカでも若者の『セックス離れ』を示す統計が出て、話題になりました。新しい傾向を短絡的に問題視しておかしな対策を取るよりは、なぜこのような状況になっているのかを考えて、何が望ましいのかを導いていくことが必要なんだと思いますよ」
(聞き手・構成/カネコアキラ)