皇室出身者でもなく、男でもない女が皇室の最高権力者になった瞬間 西園寺寧子の数奇な人生

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荒技に次ぐ荒技で天皇を仕立て上げる

こうなった以上、新しく天皇を立てねばなるまい……というわけで、光厳上皇の第三子・弥仁王という人物が擁立される運びになった。しかし、天皇になるためには、正統な手続きが必要だ。だが北朝には即位の手続きの際に必要な「対象を天皇に即位させられる人物」が誰もいない。

中世は先例が何より大事な社会だ。過去に例のないやり方で践祚(皇位継承)することはほぼ不可能である。しかし事態は風雲急を告げている。義詮は考えに考えた。そして編み出された苦肉の策が、弥仁王の祖母に当たる西園寺寧子を上皇に見立てて践祚の儀を行うという荒技だったのである。

当時の貴族たちも荒技であることは十分に承知していただろう。700~800年前、継体天皇が即位した先例を持ち出しているのだから。ちなみにこの継体天皇も、天皇家の血が絶えた時に遠縁を頼って越前から迎えられて即位したと言われており、思いがけず天皇になった人物でもある。14世紀にこの例を持ち出さざるを得なかったところを見ると、当時いかに幕府も朝廷も切羽詰まっていたかが分かるだろう。

寧子からすればたまったものではなかっただろう。自分の可愛い息子たちを京都に置き去りにして南朝方に誘拐させた張本人から「孫を天皇にするから異例の儀式を手伝ってくれ」と言ってきたのだから。当然、寧子は義詮の提案を断る(筆者だってそうする)。されど天皇が不在ではみなが困る。寧子はしぶしぶ義詮に従い、践祚の儀式に臨んだのであった。

践祚の儀式は、皇室の象徴として践祚に必要とされる三種の神器もなく、神鏡をしまっていた空っぽの箱だけで執り行われた。弥仁王はかくして祖母・寧子の手で即位を遂げ、後光厳天皇となったのである。践祚の儀式が行われているわずかな時間だけ、寧子は確かに王朝の最高権力者だったのだ。

天皇制という“伝統”

あまりにも複雑な背景であったが、650年前には、皇族の血筋ではない女性が「治天の君」として即位を執り行っていたことがお分かりいただけただろうか。

今上天皇が生前退位の意向を示したことは大きな衝撃をもって伝えられた。その後、憲法改正が必要か否かなど、様々な議論も繰り広げられている。天皇制について考えるとき、「伝統では男性が」「伝統では死ぬまで……」といった“伝統”という曖昧な言葉に惑わされてはいけない。前近代の皇室が巻き込まれた激動の時代を見ていると、現代の皇室は穏やかだが窮屈にも感じる。今回の生前退位問題を、私たちにとって自分の国の「象徴」を考え、歴史を振り返るきっかけにするべきではないだろうか。

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