マジョリティこそが差別と戦わなければならない
では、白人ワーキングクラス男性に同情の余地があったとして、トランプ支持者に顕著な人種・民族的マイノリティ、移民、女性、性的マイノリティに対する差別は正当化できるものでしょうか? 差別され、不利益を被っている人々を助けるための施策がマジョリティの既存の利益を毀損するのは、逆差別なのでしょうか? そもそも女性やマイノリティは今でもずっと賃金や社会的地位の面で差別され続けているのに、彼らに自分の持分を少し与えるのがそんなに腹立たしいのでしょうか?
私は「あるグループへの差別が、他のグループへの差別を正当化する理由にはならない」と考えます。たとえ白人ワーキングクラス男性への差別が存在していたとしても、それは彼らが他のグループを差別することの理由にはなるべきではありません。もし白人ワーキングクラス男性が、自分たちは差別を受けている、不利益を受けていると思うならば、黒人、移民、女性など他のグループを差別する前に、自分たちが受けている不利益や差別の根本的原因は何なのか、自分たちが受けている不利益はなぜ生じているのかを考えるべきです。そして同時に、「自分たちは不利益は受けていてもマジョリティである」ということに目を向け、自分たちが持っているのと同等の権利・利益・権威を、自分たちが差別している人たちが本当に持っているのか振り返ってみる必要があります。
たとえば、トランプ支持者の白人ワーキングクラス男性はマイノリティに対して差別的な言動をとっていますが、彼らの生活や心理状況が苦しいのはマイノリティのせいではなく、グローバルなレベルで進行している経済的不平等や産業の空洞化、再分配の不平等や低賃金構造など、経済的弱者を顧みない社会構造や政策が原因です。そして、こうした問題は社会経済的により脆弱なマイノリティや女性を白人ワーキングクラス男性以上に苦しめているのです。
アメリカ全体としての富は増えているにもかかわらず、彼らに与えられているパイはずっと小さいままです。その小さなパイをめぐって貧しい者同士、弱い者どうしで争っているのです。つまり、こうしたワーキングクラスの白人男性と人種的マイノリティには共通の敵がいて、本来であれば一緒に戦うことが可能なはずなのに、「差別によって憂さを晴らして満足する」という愚かな選択によって、その可能性の芽を自ら潰しているのです。
日本では、主に「典型的日本人・男性」が女性や民族的マイノリティなどに対する差別の主体です。あからさまな差別もあれば、女性やマイノリティに対して「逆差別だ」と声荒げるケースもあります。しかしこうした差別の主体側である「典型的日本人・男性」が、自分たちの苦しさの原因をマイノリティや女性に求めるのではなく、連携してその苦しさの本質的原因と戦おうとする姿勢はほとんど見受けられません。社会の制度や法律が少しずつ差別問題を改善しようとしても、差別を行う側が自らの苦しさの原因と向き合わない限り、差別は解消されないように思います。差別というのはマジョリティがマイノリティに行うことがほとんどです。しかし、差別はマイノリティの問題ではなく、マジョリティ自らが作り出している問題であり、マジョリティが戦うしかない問題なのです。