本物の「ゆとり」
270万人が誕生した第一次ベビーブームは1947~49年(昭和22~24年)、その世代が夫婦になり私を含む200万人がうまれた第二次は1971~74年(昭和46~49年)。約25年ほどの開きがある。それでは、第二次の25年後である1996年~99年(平成8~11年)あたりの出生率はどうなっているのか。確認してみると、約130万人となっている。1996年に生まれ、2002年に小学校に入学した児童を待ち受けていたものはといえば、「ゆとり教育」だ。
1970年代に日教組が「ゆとりある学校」とともに「学校5日制」を提起して以降、学習指導要項が改訂され、1980年より小学校の「ゆとり教育」の施行が開始された。後、数回に渡る学習指導要項の改訂を経て今に至る。事の発端は、1970年代まで台頭していた「詰め込み教育」の問題点改善。知識を詰め込むだけ詰め込んだところで、テストが終わればきれいさっぱり忘れてしまう。暗記ばかりが得意になって、肝心の想像力が育成されない。受験戦争の激化や学校内ヒエラルキーの格差が、生徒にストレスを与える等々。学力が上がったところでろくな目に合わない教育を改善しようと画策したわけだ。
授業時数を削減した初回改訂時の1980年度といえば、私が小学生に入学した年である。が、個人的には受験のための勉強をこれでもかと詰め込まれた経験があるため、「ゆとり」の恩恵にはまったく預かっていない。ただし、それは進学塾での体験であって、小学校では前年度に比べ緩やかな教育が施されていたのかもしれない。
1992年には、個性重視や、国際化、情報化社会、テストのための勉強ではない生涯学習体系への移行などを考慮した改訂が成され、小学校の1、2年より「社会」と「理科」を廃止、新教科「生活」を設立。2002年度には学校週5日制が実施され、本格的な「ゆとり教育」の舞台が整った。同年、学習時間3割削減と同時に、義務教育に「総合的な学習の時間」(特別授業)が導入され、生徒自らが課題を見つけ、学び、考える課題学習、体験学習、問題解決学習等が実施されている。
また、生徒の成績を他の生徒との比較やランキング総体評価をもって判断するのではなく、本人の成績そのものを評価する「絶対評価」を導入したことにより、相対評価戦争に明け暮れた我々昭和の「競争世代」とのギャップが鮮やかに対比される。折しも翌年2003年には「ナンバーワンよりオンリーワン」でおなじみSMAPの『世界で一つだけの花』が大流行。徒競走での順位付け撤廃や、あえて主役を設けない演劇など、「ナンバーワンをド根性で勝ち取れ」と教育されてきた者たちを驚愕させる出来事が散見された。
脱“刷り込み”と多様性のある協力体制
しかし、15歳を対象に読解力、計算力を調査する『OECD生徒の学習到達度調査(PISA)』で日本の生徒の学力が低下している事実が発覚して以降は、特別授業・選択授業を削減。現在では「脱ゆとり」のスローガンのもと、「ゆとりでも詰め込みでもない、生きる力を育む教育」を目指すと、文部科学省は説明する。
って、おい、文部科学省、ふざけるなよ。散々知識の「詰め込み」実験を行い、疲労困憊の被験者たちを使い捨て、今度は「ゆとり」の実験をやってみたけれども上手く成果が導けないのでこれを脱し、「ゆとりでも詰め込みでもない教育を実施します」って、我々はおまえらのモルモットか。
一般的に「ゆとり世代」は、競争が苦手だから打たれ弱い、甘やかされて育っているのでプライドが高い、何でもスマホで検索するから、検索できない事柄への想像力、対応力が著しく低下している、覇気がないなどと揶揄されるわけだが、こうした状況が彼らの「生きる力」の弱さを差すものであるならば、「ゆとり世代」はお国の教育実験の被害者だ。加害の超本人である文科省に「生きる力を育む教育」などとしれっと抜かされたくはない。