ふたりで過ごしていたあるとき、ずっと叫んでいる姉に我慢ができなくなって、姉の顔へ向かってお茶をぶちまけたことがあります。自分にとっては妹ととっくみあいするようなきょうだいゲンカの延長でしたが、姉が腕力で抵抗することは不可能な以上、虐待以外の何物でもなかったと思います。
ですが、後悔はしていません。
私は地元の、それなりながらも不本意な大学へ進学し就職で家を離れましたが、卒業してずいぶん経ってから母に「姉がいなければ、進学時にもっと手をかけてあげられた」と言われたことがありました。潜在的に感じていたことでしたが、ショックでした。でも高校時代に姉にやったことで、自分が被らざるを得ない一生分のとばっちりへの不満は、解消できたと思うのです。結局は自分の努力が足りなかったのだし、三姉妹の真ん中というポジションは、だいたい似たようなものなのじゃないかと。
姉は幼いころ、人形のようなとてもかわいい外見をしていました。しかし今は、指をしゃぶる癖からくる開咬(かいこう=上下の歯がきれいに噛み合わないこと)や自傷行為からの頭部の変形などもあって、初対面のひとは少なからずびっくりする容姿だと思います。
姉の写真を、見せたことがない
一緒に育ってきた自分にとっては見慣れた姿で、笑顔はやっぱりかわいい。スマートフォンのフォルダにも写真はたくさん入っていますが、先日、十年来の友人に、妹の写真はよく見るけど姉のは見たことがない、と指摘されました。
障害者の家族がいることで敬遠するような相手ではないのに、見せることを無意識に避けていました。驚かせたくないから、は建前で、本音は驚かれるのが当然でもやっぱり悲しいから、なのかもしれません。
先日、妹が結婚しました。式は近親者だけが出席して海外で挙げ、姉は参列しませんでした。義弟は姉も出席できるならぜひにと言ってくれましたが、姉が参加したら私と母は介護でつきっきりになり、妹の晴れ舞台どころではなくなります。妹は、判断を両親にゆだねました。
両親は姉の一生を背負っていますが、同時に私たちの親として、それぞれの人生と幸せがあると尊重してくれています。健常者だったらいいのに考えたことは数えきれませんが、親のおかげで、姉のことを大切な存在だと思いつづけていられていると感じています。
▼後篇「やまゆり園事件で改めて感じた、障害者家族の“社会に対する遠慮”」に続く。
(フィナンシェ西沢)