
自我も意思も、ある。Photo by Toshimasa Ishibashi from Flickr
この夏は、神奈川県相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件やチャリティーテレビ番組に対する障害者サイドからの否定意見番組の放送など、障害者にまつわる報道のあり方が、今までにないほど注目されました。対応が取りざたされるのは、理解以前に障害者のおかれた日常が知られていないからではないでしょうか。
重度の知的障害者を家族に持つ筆者が、ともに暮らしてきた日々を振り返った前篇に続き、現在の姉の生活や世の中の認識との違いについてふれたいと思います。
▼前篇:姉が健常者だったらよかったのにと考えたことは数えきれない、けれど。
姉にかけられる社会的コスト
姉は数年前から、平日は地元のNPO法人が運営するグループホームで暮らしながら作業所に通い、週末や連休を実家で過ごしています。私と妹は両親から、姉の人生を背負えと要請されたことは一度もありません。自分たちが亡くなった後、姉がひとりでも不自由なく生きていけるような環境を、ずっと探してくれていました。
かつて障害者が入所する居住施設や内容は、「措置制度」と呼ばれ行政機関が決定していましたが、2003年に現行の「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)」へと繋がる、入所支援サービスを本人や家族が選択できる「支援費制度」が導入。民間の事業者が障害者福祉サービスを提供できるようになりました。
姉のように障害が重い場合、受け入れが可能な施設は限られます。すべてが大事な家族を信頼して預けられる場所かと問われれば、肯定はできないのが現実です。現在のグループホームは新築で個室という住環境のよさと少人数定員、NPOの理事長に対する信頼で選びました。
措置制度下では食費などは不要でしたが、グループホームでは入所時の寄付金のほか毎月の利用料がかかります。利用料は姉が受給している障害者年金の月額とほぼ同額で、もし家族全員が突然他界しても生活していくことが可能です。
今年7月に相模原市の津久井やまゆり園で事件が起きたとき、私が真っ先に感じたのは「容疑者の言い分は、理解できる部分が皆無でもない」でした。それは、「姉にかかっている社会的コスト」が主な理由です。姉の障害者年金はだいたい、都内の新築1Kの家賃くらい。それとは別に施設には行政から毎月、入所者ひとりあたり大卒初任給くらいの額の助成金が下りています。実際に姉は毎月、私の月収と変わらないほどの「税金」の恩恵を受けています。