ーー同書の2章には貧困状態の機能不全家庭に育った女子生徒が登場しますが、養護教諭はじめ周囲の応援もあって高校に進学しました。その後も困難は続きますが、それでも彼女はその後を生きる糧となる多くのものを保健室でもらうことができたように見えます。
秋山「貧困の“貧”の部分、つまり経済的なことは先生ひとりではどうにもできないことが多いですよね。そこには、たしかに限界があります。でも、貧困の“困”の部分、たとえば彼女の自尊心のなさをはじめとする心の問題は、養護教諭が関わることで少しずつ変えていくことができます。それが中学を卒業しても彼女のなかに残りつづけたら、財産になりますよね」
大人にも保健室があれば
ーーそうした“困”を一緒に考えてくれる保健室が大人にもあったら……と思ってしまいます。本書では元ベテラン養護教諭の白澤章子さんが長野で開いている「川中島の保健室」が紹介されていますが、すごくあたたかい場所ですね。
秋山「まずは親御さんが子どもの相談でみえて、でも話を聞いていくとそのお父さん、お母さん自身が困っている。それを誰にも言えなくて、川中島の保健室でやっと打ち明けられる……ということが、よくあるそうです。それが結果的には子どものためになるんですよね。親のほうをなんとかしないと、子どもが救われないケースは多いです。子どもと大人の両方をまるごと受け止められるような場所が、地域の中にあるのが望ましいですね」
ーー大人が困ったことを相談するのは意外にむずかしいことだと私自身、実感します。いきなり行政や法律の専門家に相談することではないし、精神科も違う気がするし……。
秋山「川中島の保健室がすてきなのは、学校の保健室と一緒で、理由があってもなくてもふらっといける場所で、心理的抵抗が少ないんです」
ーー既存の機関のなかで、“町の保健室”としての機能を期待できそうなところはありますか?
秋山「先日、お寺の関係者から本書に感想をいただきました。そのなかで、本来ならお寺が大人の保健室のような役割を担うべきだけれど、ごく一部しかできていないのが実情だと書かれていました。これからその役割を担っていくための方法を考えるために、川中島の保健室を参考にしたいといってくださり、うれしかったですね。お寺に限らず、地域のなかで保健室的な場所を増やしていくことを、社会全体で考えていきたいですね」