社会

永遠に付きまとう「非モテ」感に、男たちはどう向き合えばいいのか。/杉田俊介×荒井裕樹

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死にたい非モテの「男らしさ」のモデル

荒井 いくつかの問題が複雑に絡み合っている本ですよね。最初は、近年の雇用形態の変化といった男性の働き方の話から始まります。「この本は、メインストリームにある男性の苦しさについての本なのかな」と思ったら必ずしもそうではない。「じゃあ、メインストリームにのれない男性の話なのかな」と思ったら、そうでもない。かといって「男は連帯すべきだ」という結論にもならない。いったい何の本なんだろうと、読み進めながらぐるぐる周っていくと、最終的に「あなたは自分の苦しさに向き合っているのか?」という問いかけになっています。

杉田 そうかもしれません。本書で書いたルサンチマンや非モテの問題は、本当は20代後半、30代のときにある程度決着をつけておいたほうがよかったのかもしれませんが、結局それは出来ませんでした。そのこと自体が、男にとっての男性問題の、ある種の語りにくさを象徴しているのかもしれない。自分はマジョリティであることに自足するという意味でのマッチョな男性でもないし、かといってマイノリティの男性でもない。そういう立ち位置で何が言えるのか、考えてみたかったんです。

荒井 社会のなかの立ち位置的にも、自己認識的にも、「自分たちは弱者である」と割り切れないところから弱さを見つめていく。かなりねじれていますよね。

杉田 いま、男性学ルネッサンス――というべきかわからないですが、男性問題が注目されているのは、日本的な会社に勤めて家族を養って、定年するまで勤めて……という状況が相対化され、働き方や生活の多様性がデフォルトになりつつある中で、男性の置かれた位置が変わってきているからなのかなと素朴には思っています。もちろん男性と女性の置かれた状況には依然として非対称性がありますけれど、徐々に自明ではなくなりつつある。だからこそ「男は生きづらい」系の本が出てきているんだと思います。

90年代に一度、男性学が注目されたときは、仕事から引退した高年齢層の男性が、引退後に掃除・洗濯くらいしてみようかなみたいな、「男らしさ」から「自分らしさ」へという話が中心でした。現在の男性学ブームの中で中心となっている田中俊之さんは、かつての男性学をもう少し年下の、40歳前後の中年男性に落とし込んだ議論をされていますし、AV監督の二村ヒトシさんは男性の身体の快楽についてかなりラディカルな実験をされています。また坂爪真吾さんのようにリベラルでスマートな男性像を示す方向もあれば、『草食系男子の恋愛学』(MF文庫)を書かれた森岡正博さんの「草食男子」といった話もある。こうした状況を僕は好ましいと思っています。男性の性の問題も本当は多様ですから、選択肢がたくさんあったほうがいい。

荒井 男性像の画素数みたいなものが少しずつ上がっているのかもしれませんね。

杉田 どちらかというと僕はルサンチマン、つまり「死にたい」という気持ちが絡み合った男性性に着目しています。僕自身がそういう人間なので。そういう方向からのアプローチもありなんじゃないかなと思っていて。昔、オタク的な「非モテ」がはやったとき、本田透さんや滝本竜彦さんが、オタク的な承認欲求を自虐的なネタとして笑いへ昇華しました。笑いに変えることで「非モテ」を受け入れようとした。でも「そこまでネタにしなくてもいいんじゃないか?」とずっと思っていたんです。「男としての自分の肉体や存在が嫌いで仕方ない」「死んでしまいたい」という気持ちにもう少し粘り強く付き合って、そこから開けてくるものが何かないのか、それを見つめたかったわけです。

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