社会

永遠に付きまとう「非モテ」感に、男たちはどう向き合えばいいのか。/杉田俊介×荒井裕樹

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杉田俊介さん

杉田俊介さん

バックボーンにある障害者解放思想

荒井 このあとの話にも関係してくると思うので先に話しておきたいのですが、杉田さんと僕はバックボーンとされているところが近いのかな、と思いました。

杉田 そうかもしれないですね。もともと正統派の文芸批評を学生時代にやっていたんですけど、20代半ばになって主に経済的生活的な事情でそっちはやめて、ヘルパーの資格を取ったんです。それからは、川崎市のNPOで障害者支援の仕事を十数年してきました。そこで出会った1970年代の障害者解放思想に僕は強い影響を受けてます。

荒井 僕も70年代の障害者解放運動を支えた情念に関心があります。学生時代に障害者運動の原点とされるような人に出会ったのが研究者になったきっかけです。

杉田 それから性の問題ですね。ウーマンリブからフェミニズム、男性学という流れにも影響を受けてきています。ものすごい単純化してしまうと、70年代前後にウーマンリブが興って、そのあとフェミニズムとなり、さらに一般していった、という流れがあると思うのですが、僕は中でもウーマンリブからの影響が強くある。特に田中美津さんから影響を受けています。フェミニズム以前の、実存と社会変革への欲求が複雑に入り混じった、沸騰しているような感じがすごく好きで。

荒井 僕も田中美津の『いのちの女たちへ――とり乱しのウーマンリブ論』(1972年、田畑書店より刊行。その後河出書房新社にて文庫化、現代書館より第一版復刻)には影響を受けました。

杉田 僕は思春期から自己否定、単純に言うと「死にたい」って気持ちがずっとあった。そのあと障害者支援の仕事を始めてから、この社会がいかに障害者を排除しているのかを知りました。われわれ健全者が存在してること自体がすでに暴力である、という次元があって、でも僕は性格が捻くれていたので、障害当事者からの複雑な暴力を感じてもいた。そういう問題をどう考えればいいんだろうという葛藤はずっとありました。

子どもが生まれてからは職員から非常勤ヘルパーになり、去年くらいから完全にヘルパーの仕事はしていません。いま振り返ってみると、当時は障害当事者に憑依することで、自分自身を見つめるという問題から逃げていたのかもしれません。ウーマンリブも、障害者解放思想も、まずは自分を問うことから始めていたのに、僕はそれをしていなかった。僕の初めての本はフリーターに関するものですが、ずっと苦しめられてきた性の問題をスルーしているんです。いまはもう40歳を過ぎたおっさんですけど、いまでも続く「死にたい」という気持ち、ルサンチマンに向き合わないといけないんじゃないかと思って、この本がようやくひとつ、出来上がったんですね。

モテても続く「非モテ」という孤独

荒井 男のルサンチマンについて書かれているのは第二章ですよね。杉田さんは男のルサンチマン自体を否定してはいません。

杉田 ルサンチマンがあることをまず認めて、それとどうやって付き合っていくか。ルサンチマンって下手すると誰かに対する妬みとか、過剰な自己否定とか、暴力的な方向に行ってしまうものだけど、でも「ルサンチマンを抱いちゃいけない」というところまで否定しなくても済む道を探したかった。

荒井 実は第二章が一番咀嚼するのに時間がかかりました。「非モテ」って言葉は言ってみれば「モテ」の対立項ですよね。でも第二章は、「モテ男VS非モテ」という構造の中にある非モテのルサンチマンについて書いているわけではない。対立項なき「非モテ」。見えない敵を抱えた「非モテ」ですよね。世間一般で流通している非モテのイメージと杉田さんが伝えたい「非モテ」には距離がありませんか?

杉田 「非モテ」という言葉を拡張してみたかったんです。たとえば恋人が出来ても、結婚して子供が生まれても解消されないタイプの「非モテ」ってありますよね。「セカンド童貞」っていう言葉もあるけど、恋人を作っても孤独感とか満たされなさが解消されないから次々相手を変えてしまう、という肉食的な非モテだっている。いわゆるオタク的な、童貞的な、誰からも愛されないというイメージの「非モテ」ではない、空洞感、孤独感を抱えた男性は結構いるんじゃないかな。そういうのってないですか?

荒井 僕の場合は「対-女性」というより、「対-人間」の孤独の方が強いと思います。小さい頃、チックの症状がひどかったんです。街行く人が振り返るくらい。だから、いつも人目を気にしていたんです。みんなが「普通」にしてるのが不思議でならなかったですね。どうしてみんな鼻や喉を鳴らさないで「普通」に呼吸出来るんだろう。どうしてみんな「普通」に歩けるんだろうって。自分だけ「違う生き物」なんじゃないかって思ってました。

僕は3兄姉の末っ子で、親も僕を育てる余力があまりなかったんだと思います。親も精一杯頑張っていたんでしょうけど、子供時代はかなりキツかったですね。いま36歳ですけど、子供の頃の辛かったシチュエーションを夢でみていまだに泣くことがあります。幼少期に作られた「自分だけ違う感覚」って、こうして歳を重ねて、パートナーと一緒になって、子供が出来て、普段は意識せずにいられるようになっていても、どこかに残り続けるものなんだと思います。

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