社会

永遠に付きまとう「非モテ」感に、男たちはどう向き合えばいいのか。/杉田俊介×荒井裕樹

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治すのではなく、癒すことで向き合い続ける

杉田 自分への肉体嫌悪が強くあります。僕は醜形恐怖症で、いまだに鏡を見られない。子どもの頃にアトピーが酷くて、顔にヒビがあるみたいだから「ジグソーパズル」とからかわれていたのも関係している気がするんですけど、自分の肉体をどうにかして抹消したいという気持ちがどうもある。それらがおそらく「異性に承認されない」という非モテ感と絡み合っていて。醜形恐怖症って女性だけでなく男性も同じくらいいるみたいで。そういうのに悩まされている男性は、一方で身体嫌悪を払拭するために身体を鍛えるほうに行き、もう一方は何もかもを諦める方向に行く。僕は後者ですね。オタクの人たちが「そりゃモテないよね」という格好をしているのに近いというか、自分の身体に対して非常にルーズになってしまう。

ウーマンリブが始まったとき、女性たちが性の問題を語る際にまず自分の肉体を見つめました。でも男性たちはそれをしてこなかったように思うんです。僕自身まだこの問題はちっとも克服出来ていないというか、自分の肉体を好きになることは無理じゃないかと正直思っているんですけど……。もしかしたらこれは永久に解消されない、治らないから、なんとか折り合いを付けていくしかないことなのかもしれません。それは荒井さんが『生きていく絵』(亜紀書房)で描かれているような、「治す」と「癒す」の違いに近いのかも。

『生きていく絵』(亜紀書房)

『生きていく絵』(亜紀書房)

荒井 治すのではなく、その時々で癒していく。『生きていく絵』で、リストカットの血で絵を描いた女性のことを書きました。本人もなぜその絵を描いているのかはわからないんですね。でも、自分でもよく分からない表現が時間をかけて積もっていったときに、「こういう意味だったのか」と分かることがあるかもしれない。

杉田 僕も自分が書いたものの意味がさっぱりわからないところはあります。癒しながら、向き合いながら、暗中模索として文章を書いていくしかないのかもしれません。

荒井 それを待ちながら、かみ締めながら生きていくのもいいなって、僕は思うんですけど。

【第二回「自分の弱さに気が付かない男たちは、弱音を吐く言葉を持っていない。/杉田俊介×荒井裕樹」に続く】

(構成/カネコアキラ)

荒井裕樹(あらい・ゆうき)
2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。

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