福山雅治は、なぜ「かっこわるい」ことを追求するのか。『SCOOP!』

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(C)2016「SCOOP!」製作委員会

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「日本一撮られない男・福山雅治が撮る側にまわった」「大根仁監督と初のタッグ」など、見出しがいっぱい立つ映画『SCOOP!』。自分のような人間が面白く見られる映画でもないだろうけれど、男性が自分を縛る「男らしさ」が見えるのではないかという興味で見に行ったら、なんとなくそれを超えた部分も見えた作品になっていました

ストーリーは、かつては伝説的スクープをものにしてきたが、ある事件をきっかけに仕事への情熱を失い自堕落に生きているカメラマンの都城静(福山雅治)が、写真週刊誌「SCOOP!」の新人記者・行川野火(二階堂ふみ)の教育係としてコンビを組まされることから始まります。世代も違う男女ふたりが、ともに仕事をしていくうちに、静の気持ちにも変化が生まれて……という物語です。

冒頭から車の中で荒々しくセックスしてるわ、新人の野火にセクハラ発言をするわ、仕事ぶりは法もスレスレな型破りだわ、ひと仕事終わったら風俗に行きたがるわで、予想通りの展開。この映画が始まってから数分は、福山雅治さんが「かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう」という、ある種の男性観を見せるための映画だろうと私は思っていました。

原稿を書くにあたって福山さんのAERAのインタビューを読んでみたところ「都城静はアウトローになりきれない男。中途半端な格好悪い男です。でもよくわからないけれど、恰好悪いからこそ、恰好いいところがあるような」と語っていて、やっぱり本人も思っていたのだということがわかりました。このインタビュー、福山さんが、俯瞰的に、こうした男性がもっているある種の憧れと、実情をわけていて、大変興味深いものになっていました。

なぜ福山さんは「かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう」ということを表現したかったのか。それはデビュー当時から、すらっとした体格、クールな目鼻立ちを持っていたために、そのイメージだけが独り歩きし、「かっこいい」ということが、自分ずっとにまとわりついていると感じていたからではないかと考えます。

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