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福山雅治は、なぜ「かっこわるい」ことを追求するのか。『SCOOP!』

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今のイケメン俳優と呼ばれる人たちにもある感情かと思いますが、女性から「かっこいい」と思われ、その評価が一人歩きすると、「女性の欲望を体現する人」の役割を担わないといけなくなります。例えば、「壁ドン」を“させられる”人を考えるとわかりやすいでしょう。「壁ドン」は、荒々しくて男性的な行為と一見思われていますが、雑誌の記事を読んだり、実際にインタビューをしてきて感じるのは、男性俳優たちの中に、「壁ドン」に100%肯定的な人はさほどいないということです。もちろん、世代によっては、その行為を記号として楽しんでする人もたくさん出てきていますが、30代後半以上の男性俳優、特に「俳優」の本分は、作品の中で誰かの人生を演じることであって、観客をストーリーではなく、視覚的、瞬間的に喜ばせることとは違うと思っている人などは、ドラマや映画の中で「壁ドン」をさせられることは、なんとなく「どうなのかな?」と思っていることは多いと思います。斎藤工さんが最も顕著で、自分で自分のことを「妖怪壁ドン男」と呼び自虐的な笑いに昇華させている姿もたびたび見かけました。

なぜ男性俳優が「壁ドン」を肯定的に捉えていないかというと、「壁ドン」という行為が、もともとは、男性がどうしようもないほど強い感情を持ってしまったときに、「壁をドンとしてしまう」という衝動的、能動的な意味があったのに対し、今の「壁ドン」は、流行したことによって、女性の願望を叶える記号的な行為に変化していったからだと思われます。壁ドンをする男性の気持ちは無意味化し、「壁ドン」をすれば、必ずスイッチを押したように、女性たちが「キャー」というに違いない……、そう考える制作側が生み出した「ダサ壁ドン現象」に、異を唱えていたのではないかと思うのです(ちなみに、そんな妖怪壁ドン男、斎藤さんが、映画『HIGH & LOW RED RAIN』で、遂に壁になったことは感慨深いものがあります)。

こうした「壁ドン」に違和感を持っている男性たちが何を望んでいるかというと、自分の欲望の表現を自分自身の手に取り戻したいということだと思います。それは福山さんや斎藤さんが、テレビで下ネタを言ってしまう行為に繋がっているのではないかと思います。

下ネタにかかわらず、「かっこわるく」なることは、女性の欲望を(一般的、一時的には)遠ざけます。かっこわるくなることが、彼らが自分の手に自分の欲望を取り戻す行為に繋がるわけです。これは、常に欲望の対象になり、自分の欲望を社会的にないがしろにされていると感じることも多い女性の気持ちとも、意外とリンクしているのではないかとも思うのです。

そして、この映画は、そんな福山さんの長年の思いを、心の機微に敏感な大根仁監督が、十二分にくみ取って出来上がった作品だと思います。また、リリー・フランキーさんはインタビューで、「福山さんご自身はユーモアがある人だけど、映画やドラマではその部分はあまりフィーチャーされていない。本作は珍しく福山さんのユーモアが発揮されている映画だ」と語っていたそうですが、リリーさんも、福山さんの欲望を自分の手に戻してあげたいと考えていたのではないかと思います。この映画においてリリーさんは非常に重要な意味を持つ人物でした。彼が加わることで、このプロジェクトは完璧になった、と言っても過言ではないでしょう。

福山さんは『SCOOP!』で、「かっこいいことは、なんとカッコ悪いんだろう」と思われているのではないかという思いを断ち切り、「カッコ悪いことは、なんてかっこいいんだろう」にたどり着いたのです。

面白いことに、この映画の内容自体も、仕事に対する欲望を失い、半ばあきらめたように生きていた静に、もう一度、仕事への欲望や、男として生きる欲望を取り戻してもらうための一大プロジェクトだと観ることができます。そこが福山さんと重なって見えるからこそ、興味深く見ることのできる作品になったのだと思うのです。

『SCOOP!』は、原田眞人監督の1985年の映画『盗写250/1秒』のリメイクです。原田監督は自身のブログで、「わたしが『盗写』を書いたとき理想として夢見た主人公がまさに今回の福山さんだ。ガタイがでかくてぶっきらぼう無神経なのに、そこはかとなくセックスアッピールがある、皮が一枚はがれていくたびに繊細さが匂う・・。そういうスターは当時いなかったから細胞分裂させて原田芳雄兄貴と宇崎竜童さんに『合わせてひとり』をやってもらったようなところがある。大根脚本はそこを本来あるべき姿に戻して、静と野火のドラマに突き進んでいる」とつづっています。

当初、この文章を見て、原田監督は『SCOOP!』の福山さんをほめ過ぎなのではないかと思った部分があったのですが、鑑賞後によく考えてみると、確かに、外見や行動で豪快そうに見せてはいるけれど、皮をはがすと繊細そうという二面性を一人で演じられるのは、長年、「かっこいい」と世間には見られているのに、あえて下ネタを言ったり(今ではもうあたりまえですが、人気が出始めた当初は、けっこう驚きがあった記憶があります)、生身のだらしない男であることを隠さなかったりと、「かっこわるい」自分を見せようと模索してきた福山さんしかいなかったのかもしれません。

この作品は、「かっこいい」と「かっこわるい」の狭間でもがいてきた福山さんがそこを乗り越えたからこそ完成したと思うのです。
(西森路代)

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