いびつな家で苦しみながら頑張り続けるのが「家族」ということ? 村田沙耶香『タダイマトビラ』

【この記事のキーワード】

家族システムという「ファンタジー」

恵奈は、自分が今いるここは「本当の家」ではない「仮の家」であり、いつか必ず、「本当の家」を手に入れるのだと、しかるべき異性と恋愛をし、理想の家庭を築くことを渇望しています。「『本当の家族』とは、血なんて理由ではなく、私だからという理由で選ばれるということだ。『本当の恋』をして結婚すれば、“自分たちの子供だから”ではなく“私だから”という理由で自分を探し出してくれた人と共に家を作ることができる」――そんなふうに「本当の家」に焦がれ、いくつかの恋愛を繰り返しながら高校生になった彼女は、浩平という男子大学生と付き合うようになります。彼こそ、家族としてともに暮らすのにふさわしい存在だとみとめた恵奈は、浩平との関係を深め(彼の「恋に恋している」態度にうんざりしつつも)、ついに彼から「結婚しようよ」という言葉を引きだします。長年求めていたものを手に入れ、幸せの絶頂であるはずの恵奈。しかし彼女の胸に広がるのは、「本当の家」に対する疑問でした。

「本当の家」なんて、ほんとはどこにもないんじゃないだろうか? 家族になるというのは、皆で少しずつ、共有の嘘をつくっていうことなんじゃないだろうか。家族という幻想に騙されたふりして、みんなで少しずつ嘘をつく。それがドアの中の真実だったんじゃないんだろうか。

そもそも「本当の家」とは何なのか、そんなものが本当にあるのだろうか? いびつな家で苦しみながら頑張り続けるということが「家族」ということなのだろうか?

「本当の家」に向かってひたすら進み続けてきた恵奈にとって、胸に沸き起こった疑問に足を止められるのは、致命的なことでした。アパートには、浩平が幸福そのものといった表情で待っている。胸に顔を埋め、恍惚の表情を見せる浩平に、恵奈はある事実に気がつきます。恵奈がニナオをカゾクヨナニーの道具にしていたように、浩平もまた恵奈をカゾクヨナニーの道具にしている。伯母が「一緒に工夫して暮らしていくこと」と言った「家族」というシステムは、ヒトがヒトでカゾクヨナニーをするシステムだったのだ――自分が「家族」に失敗したことを感じた恵奈は、新たな「工夫」をする決意をします。「家族というシステムの外に帰ろう」。そして彼女は、ずっと「家族」に苦しめられてきた母親を連れ、一匹の生命体として、そのシステムが生まれる前の世界に「帰って」いきます。

この、突如として空想の世界に飛んでしまうようなラストについては、賛否が分かれるかもしれません。それまで「現実の」問題をなぞるように進行していた「小説内の現実」が、そうした問題を生むシステムそのものを消滅させる形で、「ファンタジー」の世界へと跳躍してしまう。現実逃避ともとれるこの結末は、恵奈たちと同じように、「現実」に家族というシステムの問題に苦しめられている読者たちにとっては、何の解決にもならないものです。ですが、この小説で、明確で正しい、「現実的」な解決策が示されていたとしたらどうでしょう。「いびつな家で苦しみながらも、工夫を重ねて頑張り続ける」という「まっとうな」価値観――しかしそれこそが、恵奈や、彼女の母親を追い詰めてきたものではなかったでしょうか。

さらに、この「現実」から「ファンタジー」への跳躍は、もうひとつ重要なことを私たちに示します。それは、「現実」と思われていた家族システムもまた、人の手によってつくられたひとつの「ファンタジー」であるということ。そして同様に、カゾクヨナニーや恵奈の跳躍をはじめとするファンタジックな「工夫」がなされた世界もまた、ひとつの「現実」だということです。突如として「家族というシステムの外に帰ろう」と「ファンタジー」の世界に跳躍しようとする恵奈は、家族から「病気」であると見なされます。しかしそれは、恵奈にとっての世界=「現実」と、周囲にとっての「現実」の不一致によるものです。周囲の人びとが囚われている家族システムという「ファンタジー」も、その人びとにとっては「現実」であり、ここで「現実」と「ファンタジー」の二項対立は、存在することができなくなります。

また、ここでの「現実」は、「本物の」「本当の」という言葉で言い換えることもできるでしょう。恵奈が執着した「本当の家」、これもまた恵奈が求めたひとつの「現実」であり、同時に「ファンタジー」でもあります。そして同時に、「いびつな家で苦しみながら頑張り続ける」という生活も、「現実」であり「ファンタジー」でもある。「『本当の家』とはなんなのか、そんなものが本当にあるのだろうか?」。その問いに答えるとするならば、すべての家が「本当の家」であり、「本当の家」などというものはどこにもない――そこには、個人それぞれの「現実」があるだけなのです。

村田沙耶香の小説を、「ファンタジー」と評する方は多いかもしれません。しかし、彼女の描く世界は、ただの「ファンタジー」では断じてない。ただひとつの「現実」に囚われた私たちの手を引っ張って、別の「現実」へと連れ出してくれるというものです。そして本を閉じ、息をついた私たちが見る「現実」を、本を開く以前とは確実に変えてくれる。『タダイマトビラ』は、そういう力強さを持った本だと、私は思います。
餅井アンナ

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