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広告が提示する“女”とは一体誰を差しているのか。資生堂『インテグレート』の“女の子物語”とマーケティングデータ

【この記事のキーワード】

「落とし穴を迂闊に掘っているうちはプロじゃない」

 また、他意も作為もなく、心の底から女性を応援するべく同CMを制作したとするならば、浅慮である。「25歳は、もうちやほやされない」等の台詞を鑑みると、“女の子”と“大人の女”の境界線上に立つ主人公たちは、女性を年齢市場で査定する種の蔑視観に疑いを持たない。この台詞を、例えば年輩男性や上司が言おうものなら即刻セクハラ認定されるわけだが、当の女性自身が年齢市場主義的価値観の刷り込みに捕われ、コンプレックスを抱いたり、自らの加齢嫌悪をもって他者女性の年齢を蔑視したりする実状もまた、日本のエイジズムの深部に潜む当事者問題のひとつである。その状況をあっけらかんと露呈する演出を、制作者サイドが特に問題視しなかったとするならば、迂闊である。

 上司による「がんばっているが顔に出ているうちはプロじゃない」も、男性上司と女性部下の間で起こり得る数多の会社内ハラスメントに抵触する危険を孕んでいる。さらに主人公たちは上司の一言を「あ、そっか」と受容し、順応性を発揮して実際にがんばる。上司の発言が実質的にハラスメントに相当するか否かはさておき、ハラスメントと捉えられる可能性がある台詞に対し、またしてもあっけらかんと順応する女性像を描写するあたりも、軽率が過ぎる。

 主人公たちは、社会の刷り込みに従順な分だけ、社会問題に疎い。当方の個人的な意見としては、25歳の社会人とは思えない幼児的な描かれ方である。この主人公像が、特に実態調査の結果ではなく、制作者サイドの印象や固定観念によって描かれた設定であるならば、あまりにも安易。物語の落としどころのために、わざわざ従順で鈍感な幼い女性性を主人公に投影したということならば、これもまた“残念バイアス”。

 だが、そこは大手企業のCMだけに、得意のマーケティング調査によってターゲットおよび主人公像の実態調査、および視聴者にネガティブな印象を与えない検証を行ったはずである。ゆえに、主人公には、彼らの調査範囲内の統計結果が反映されているとして。娘たちの在り方が25歳の社会人女性の実態に限りなく近いようならば、個人的にはショックだ。

 結果的に、街場の反応を想定しきれなかったからこそ、平然と公開された同CMは、案の定怒られて取り下げる残念な結末を招いた。現在のCMはTV放映のみならず、インターネットでの公開および情報拡散も視野に入れた展開を考慮する以上、あらゆる角度からの異論反論が飛び交う状況を想定して然るべきだ。想定できずに炎上し、炎上を理由に公開を取り下げたのであれば、プロの仕事として成立していない。ゆえに、下手である。

 企業イメージも悪化する。利益にも悪影響を及ぼす。大人数が時間と労力と予算をかけて手がけたプロジェクトが無駄になる。これでは、“残念バイアス”をかけられた女性たちも穴の落ち損というものだ。一言「落とし穴を迂闊に扱っているうちはプロじゃない」とお伝え申し上げたい。

 “女の子物語”に対する女性の反応

 ここまで、かねてより制作者の都合による“残念バイアス”の作為(または無自覚)に否定的な意見を持つ私によるCMの作り方批判を展開してきた。一般的な意見としても、「女をわざわざ貶める、女性蔑視の体現」「いつまで女を馬鹿にするつもりだ」「この内容がCMとして通用すること自体、“だからハラスメントがなくならない”社会を立証するものである」といった声を聞く。

 他方、同CMは「よくある日常の光景」であり、「何が問題なのか分からない」「問題視する方が、年齢やハラスメントを気にしすぎている。過剰反応ではないか」と、一連のバッシングを疑問視する声も一定数あがった。「25歳だから」「もう女子ではない」「ちやほやされない」ので、「大人のかわいい女性としてアップグレードしよう」というメッセージに違和を感じない女性視聴者にとって、主人公は“等身大”の自分に近しい存在である。

 同CM制作者にとっては彼女たちこそがまさしく“共感”と“購買”を促したい相思相愛のターゲットとなるが、全国放送のCMは彼女たちのみにピンポイントに届くコンテンツではないので、「いやいや、そんな25歳ばかりじゃないだろう」と反発する者が登場する。「私も25歳だけど、とっくに大人だよ」「社会人になってから、自分は女子ではないことを語り合わない」等、“等身大”の自分との距離の遠さを基準に反論。25歳の女性と一言でいっても、いろいろな考え方の人がいるという、至極当然の事実を社会に露呈した。

 また、年齢市場査定のエイジズムについて、不快感を表明する意見の着眼点は概ね3点。

(1)「もうちやほやされない」と嘆くからには、主人公はかつて“若い”という理由でちやほやされることに疑問を持たずにいたのだろう。そんな主人公が不快。

(2)そんな主人公をでっち上げ、お茶の間に放映するCMの在り方が不快。

(3)主観的な感想はさておき。同CMがしれっと放映されてしまう社会において、エイジズムの刷り込みの威力がまだまだ有効である事実が不快。

 人間を傷つけ、お茶の間を汚し、社会に潜むエイジズム、恐るべし! 私自身は(3)であり、虚構の広告の主人公には何の恨みもないのだが、若くてもちやほやされない女性や、ちやほやされる理由が自分自身の魅力ではなく、“若さ”のブランドであることが気に入らない女性もいる現実をスルーして、安直に女性の“年齢”を取り扱うCMは、「企画も下手だけど、根本的に女の扱いが下手」である。

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