広告が提示する“女”とは一体誰を差しているのか。資生堂『インテグレート』の“女の子物語”とマーケティングデータ

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マーケティングデータが通用しない世の中

 その他、「社会人女性はもっとしっかりしている」「容易に見下せる女が好きな男の目線を感じる」「女を馬鹿として描いている」「女子は辞書上では特に若者を差す言葉ではないので、40歳である私も女子だ」「セクハラひどい」「いや、あれはセクハラじゃない」「資生堂にはがっかりした」等、実に様々な視点での意見が交わされた。

 私個人は、「いつまで薄らぼんやりした“女の子物語”を消費させるつもりなのだ」とうんざりする一方、15秒2タイプのCMがここまで物議を醸した状況を、歓迎したいと考えている。この結果は、大手広告代理店のマーケティングデータには現れない、多種多様な女性たちのリアルな声の集積である。今後のCM制作がもっと上手になる糧として大いに活用していただきたい。

 懸念するのは、主人公に共感する層が、主人公同様に、社会の刷り込みに従順かつ社会問題に疎い点である。「何が問題なの?」と素直に呟く女性を非難するつもりはない。彼女たちは、それまで生きて来た社会環境によって“刷り込まれた”価値観に順応しているだけであり、「そこにある問題」に気付かない教育をも施されている。よって、本件のような「いろいろな価値観がある」事実が露呈する機会をチャンスと捉え、何が問題なのか、自分の頭でしっかりと考えてみてほしいと願う。

 ハラスメントのように事件化できない価値観の“刷り込み”によって、苦しめられている女性は多勢いる。情報の誘導に流され、主体性を失った女性は、女性の自立を促される現代社会に取り残される。若い女性には、「自分は何がしたいのか」「何がほしいのか」「どうなりたいのか」、ビジョンを明確にもち、数多の情報より都度、意志をもって選択し、獲得する主体性を身につけてほしいと考える。40歳だけどいつまで経っても女子、でもいい。10歳だが、私は大人だと腹を括るのもいい。自分の正解は、自分が決める。それが、精神的な意味での女性の自立である。

 最後に、小言で締めたい。つまるところ、前時代的な社会の刷り込みに従順な分だけ、現在進行形の社会認識に疎いのは、同CMを手がけた制作者サイドなのだ。残念な結果を招いた背景には、配慮不足はもちろんのこと、マーケティング重視の広告屋の方法論が街場ではもはや通用しない事実を物語っているのではないかと想像する。

 多様な意見や思想が可視化される現在。集団全体における相対評価ではなく、個人の絶対評価を礎とした教育を受けて来た若い世代が見渡す社会には、思考も趣向性も人生の選択も個々に異なる人々が混在している。年齢や性別の【型】よりも、【型】に集約されない人間性こそを重視する向きがある風潮の中で、年齢別、性別等のマーケティングデータベースを前提に人間を扱う方法論そのものが、社会の現状およびニーズに適応していないのだ。

 先に統計の結果論であるマーケティングデータがあり、“残念バイアス”の王道ドラマツルギーがあり、「20年代前後の女性ターゲット=共感性がトレンド」と書かれた広告代理店のテンプレート企画書があり、後付け的に人物や物語の設定を行う。こうした後手後手の方法論によって制作された「広告屋の、広告屋による、広告屋のためのCM」は、 “世間擦れ”を招く。

 女性を応援する大義名分と内実のギャップ構造ともどもお茶の間に流布させたCMが放映中止になる状況は、「女を口説くためのメソッド本」通りのコーディネイト、デートコースを踏襲した結果、「そんな本読んでいるだけでも気持ち悪いのに、実行までしやがった」という理由でふられる男のような見事な墓穴掘りである。

 要するに、後だしジャンケンで負けている。そのようなしょうもない状況にいちいち女性を付き合わせるマスメディアにこそ、みなさまが語られる“女”とは、一体誰を差しているのか、今一度自分の頭でじっくり考えることをお薦め申し上げたい。

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