ジタバタする本木雅弘に、自分自身の「清さ」を問いたくなる『永い言い訳』

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複雑な自意識を持つためにかわいげのないように見える幸夫ですが、実は、何かあるとすぐに表情や言葉に出るし、周囲から見るとわかりやすく、愛らしさがあります。そのため冒頭の夏子の困ったような、かといって見捨てられないような表情の理由が、見ている私にも共有できてしまうのです。

それは、この映画のパンフレットについているDVDをみて確信に変わりました。このDVDでは、本木さんが幸夫になりきってインタビューを受けているのですが、その目的は、実は幸夫を演じる本木さんの本音を引きだそうというものでもあり、本木さんはインタビューの中で、幸夫について「私のなかでは、衣笠幸夫のほうが、本木雅弘より清いんですよ」と語っています。

本木さんがそう思った理由は、妻の携帯に残った自分への未送信メールを見て憤慨している幸夫が、直後に撮影されたドキュメンタリーで、その気持ちをストレートに出してしまうからということでした。もしも自分が幸夫ならば、そのドキュメンタリーでこそ、「みるもなめらかに、なんの気持ちもかき乱されることなく、体裁を整えた愛ある言葉をたくさん語っていたと思う」と本木さんは言います。これは、常に自分以外の人を演じて生きている俳優ならではの視点でしょう。

本木さんはインタビューの中で、「どんなどうしようのなさを持っている人間でも、『世の中の見方を変えれば人間って変われるよ』と言ってあげたと思うけど、私の中の本音は、『そうそう人間って変わらないよ』というのが動かないし、どこかで、そんなことで変わったふりをしてやるけど、ほんとには変わらないという自分がいる」と語っていました。

もちろん、この映画は、大宮一家と出会ったことで幸夫が順調に再生していく、といった単純な作品にはなっていません。子供と過ごすことで、徐々に幸夫の心が澄んでいき、このまま再生するのでは……と思いきや、幸夫の「清くなさ」が顔を出し、すんなりと成長はさせてもらえないのです。こうした描写があることはフィクションとして信頼できますし、その後、もう一度再生するチャンスが訪れるのもフィクションらしい良いところだと思います。

しかし、純粋無垢な陽一くんであれば、妻への思いを断ち切った後に新たに愛する人が現れても、私たちは彼の新しい門出を祝福できるのに、自意識が強く卑屈な幸夫に同じことがあっても簡単には祝福できません。本当に幸夫のような人がいたとき、妻の死に向き合い変化しつつも、しばらくしたら、また同じような人生を繰り返すんじゃないか、と私自身も考えてしまいました。その疑念は、本木さんと同じく「自分よりも幸夫のほうが清い」という気持ちも芽生えさせます。物語のように、世の中はすっきりといかないという気持ちがあるから、自分は複雑で清くはないと思ってしまうのです。

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