ジタバタする本木雅弘に、自分自身の「清さ」を問いたくなる『永い言い訳』

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本木さんは別のインタビューで、「こんな自分は、西川監督には使ってもらえないと思っていた」と語っていました。それは、本木さん自身が、自分の複雑さは、西川作品に要求されるような類ではないと考えていたし、本木さんのこうした複雑さをちゃんと見抜いて使った人がこれまでにはいなかったということでしょう。そして、本木さんもそこに対してのあきらめがあったということなのかもしれません(それは、海外で評価される映画に出たとしても、本木さんにとってはずっと気になっている部分であったでしょう)。そんな本木さんのキャラクターを存分に生かした点についても、この映画は価値があります(かといって、今後そんな役の依頼が本木さんに来まくったとしたら失笑ですが)。

またこの映画は、男と女の別れと、そこからの再生のことをきちんと書いているのに、「男だから」とか「女だから」という目線でこちらが見ることはありませんでした。男女問わず、誰にも幸夫のようなところもあり、陽一のようなところもあるのだと思える、私にとって、とても珍しく不思議な映画でした。

そこには、本木さんの性質もひと役買っているのではなかと思います。本木さんは、常に逡巡していて、これでいいのかと迷っているようなところがあり、どのインタビューを見ても、いい意味でまとまりがなく、ジタバタしまくっているのが伝わってきます。でも、そのことで、いつもここで取り上げる「男らしさ」(逡巡せず迷わずまとまりのある答えを持っていてジタバタしないほうがいいとされるような)、に本木さんが縛られていない感じがするし、そこが幸夫からもにじみ出てきていたのかもしれません。

そして、西川監督は、そこを引き出すために、かなり本木さんにプレッシャーもかけたことでしょう。50歳になって、こんなにジタバタできる人は本木さん以外にはいないだろうし、複雑といいつつも、それをすべてさらけ出してしまう(本人は、その奥にもまた自意識の層があり、今出しているジタバタはすべてではないと思っていたとしても)ことは、とてもチャーミングであり、なかなかできることではなく、そういう「清い」彼がいなければ、この作品は成立していないのではないかと思うのです。

パンフレットの付録のDVDの中で、本木さんは監督から、常に揺さぶられていました。あの姿を見ていると、妻の夏子の残した携帯のメールも、幸夫をいつまでも揺さぶるための置き土産みたいだなとも思えてきました。あんなメール、ほかの夫婦の間で出てきたらもっと悲劇になりそうなものなのに、どこかコミカルな印象を残すのもまた、本木さんのキャラクターがあってのことなのかもしれません。
(西森路代)

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