社会

デフレ化する「LGBTフレンドリー」~電通過労死事件とエリート・ゲイ写真から考える「働きやすい職場」

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つまるところは、ジェンダーの問題

しかし「LGBTフレンドリー」がデフレ化していった末に待っているのは、担当者と末端の当事者たちの疲弊ではないだろうか。学校でも、職場でも、どこのコミュニティでも「多様性の尊重」というのは、常にプロセスであってゴールはない。いつも異なる人々から新たな問題提起がある中で、仲間たちと手探りで模索していくしかないのだ。中途半端に「やったふり」ができ、企業が表彰されるようなシステムであるなら、当事者は声をあげにくくなるし、担当者がラディカルな変革をすることの障害になりうる。

おそらく職場における最もラディカルな変革とは、トランスジェンダーの社員の扱いになるだろう。ゲイやレズビアン、バイセクシュアルといった性的指向のちがいは、基本的には外見からは分からない。異性愛を前提とする会話や、差別的な言動の改善、福利厚生における不公平感などを見直すことで、職場環境はおおむね改善されるだろう。その一方、トランスジェンダーの場合には考えなくてはいけないことは日常的にたくさんあり、対応は個別・手探りにならざるを得ない。外見の性別が男性にも女性にも完全には見えにくかったり、トイレや更衣室の利用にあたってみんなが納得するためには数年以上の経過を必要だったりする場合もある(改修工事だっているかもしれない)。LGBTの中にもこのような差異があることに自覚的でないと、なかなかLGBTをめぐるダイバーシティ施策の話題は難しい。

※主催側の依頼により写真は削除しました。

一方で、こちらは「Work With Pride2016」会場で飾られる予定だった大手一流企業に勤めるゲイのサラリーマンたちの写真だ。予告なしに入れられた「The Gay Elite」や大企業の名前のロゴ(念のためボカシをいれてみた)が、SNSで反発を巻き起こしたために、当日はロゴ抜きで展示された。みんなの職場の多様性について考えてもらう趣旨とは裏腹に、スーツ姿の男たちのみで構成された写真からは「男性のジェンダー規範から外れない限りは、ゲイであったとしても問題なく働ける」というメッセージも滲み出ているように著者には思えた。百歩ゆずって「スーツの男だけ」の写真を許容できたとしても「ところで社会規範に合致する/あるいは“使える”ゲイもいるんですよ」というマイノリティ内での階層化がされているのは、なんなのだろう。すべての人が尊厳を持って働ける環境があるかどうかと、だれに市場価値があるのかは、別の話題だろうに。

職場における「性」をめぐるダイバーシティを考えるとき、結局のところ問題になるのはジェンダーなのではないだろうか。女であることや、男の記号になじめないことこそが職場での働きかたを大きく左右している。

1980年代のイギリスにおいて、ストライキを行う炭鉱労働者と同性愛者との連帯を描いた映画『パレードへようこそ』に、こんなシーンがある。炭鉱の町をはじめて訪れたゲイ男性が「政府や警察にいじめられているあなたがた炭鉱労働者は、まさに僕たち性的少数者と同じ状況にいます」とスピーチをして、労働者たちから不評を買うのだ。なぜなら、当時のイギリスにおいて、LGBTであることは「底辺」を意味したからだ。炭鉱労働者にとって、自分たちがLGBTと同列で語られることは少なからずショッキングなことだった。

ひるがえって2016年。いまやLGBTの運動の側が、過労死した電通の新入社員の側に「私たちも同じ人間だ」ということを確認しないといけない段階に来ているのかもしれない。性的指向だけではなく、ジェンダーや学歴、正規雇用なのか非正規雇用なのか、どのような職場で働いているのか――様々なことへの眼差しがないと「LGBTが働きやすい職場は、みんなが働きやすい」と無邪気には言えないだろう。

あらゆる問題についていっぺんに解決することはできないし、ゴールなんてどこにもない。さまざまな違いがある中で、こまやかなことを考え続けていくプロセスのことだけが多様性の尊重なのだろう、同じ人間として。

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