ベッドで交わす「愛」と「仕事」 働き方改革がもたらす終わりのないホームワーク

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「より少ない報酬でより多い仕事を」

冒頭に挙げた彼女にとって、「仕事」はいつ終わるのか考えてみてほしい。PCでの業務だけじゃなく、山のようなメールチェックや返信が、持ち帰った「仕事」の一部なのは明らかだ。じゃあ、夕食の後片付けをしながら、いつ職場からメールが来るか待ち構えていることは? 部署内での話題についていくために同僚のタイムラインをチェックすることは? 子供が寝静まったあと、自宅PCに導入した新しいソフトの勉強をすることは?

もちろんこのどれも、勤務評定では「仕事」として数えられることはない。「子供の宿題を見ながら作業ができる環境を整えたい」という世耕経済産業相の言葉が極めて象徴的なように(「仕事」じゃなく「作業」という言葉を使っていることに注意)、テレワークなどを前提にした現状の「働き方改革」が含意しているのは、「残業を減らすために在宅で仕事をしろ、ただしその分の『仕事』は『仕事』として認めないけれどね」という命令だ。職場で行われていたメール管理を家で行わせることが「フレキシブルな働き方」の目指すところの一つなら、それは仕事を給料の発生しない「作業」として目に見えないところに押しのけることでしかない。この時あなたが実際にする「仕事」は減るどころかむしろ大きく増えることになる。冒頭の彼女の例で言えば、彼女がオフィスを出てから寝るまでの間、何らかの形で「仕事」をしていない時間はないに等しいのだから。

つまるところ、新しいコミュニケーション・テクノロジーによって家からでも仕事ができるようになることは、労働者(特に女性の労働者)が「より少ない報酬でより多い仕事を」するように求められることなのだ。Melissa Gregg, Work’s Intimacy (2011: 未訳)は、オーストラリア・ブリズベンの主に知的産業に携わる労働者を対象にした聞き取り調査を行い、こうしたテレワークによって推進される「働き方改革」がはらむ問題を追及する。本のタイトルにもある、(在宅ワークによって)「仕事が身近になる」こととは、これまで「仕事の外」とされてきた家庭や友人との交流などの領域に、仕事が完全に浸透することを意味している。グレッグが主張するのは、これが新しい形の「情動労働」(肉体や頭脳だけでなく、感情のコントロールなどを必要とする労働)なのだ、ということだ。

グレッグの調査で浮かびあがるテレワークの問題は以下のようなものだ:

1.単純な作業量の増加
(同僚全員にCCを送るようなコミュニケーション文化のもとで膨れ上がるメール作業や、常に更新される新しいテクノロジーに追いつくための勉強など)

2.職場を離れている間も常に仕事に追いついていないといけないというプレッシャー
(常にオンラインで応答可能でいないと「仕事をしていない」と思われるという焦り)

3.こうした「仕事」が上司や組織に「仕事」として認められない状況
(賃金は支払われないし、そもそもメール作業などを「仕事」だと考えてもらえない)

4.3に基づく組織的なサポートの不在
(会社全体での公的なガイドラインや技術指導などがなく、各人が自己責任で学ばなければ置いて行かれるという状況)

5.4の結果として「自分が選んだ仕事」と「強制された仕事」の境がなくなること

6.こうした不利益を被るのは、主に不安定な仕事に就く人であること
(キャリアアップのために不安定な雇用形態で大手企業に勤める人やフリーデザイナー、インターン生など、「投資的労働(=将来の利益のために、現在の労働をただちに報酬に見合わなくても「自分への投資」として受け入れること)」に従事する人たち)

7.そして最後に、家族や友人との「親密な時間」が、仕事上の有益な繋がりや充足感にとってかわられること

一言で言えば、グレッグが批判しているのは、現状テレワークが構造的な「不払い労働」の温床になっていること、そしてこれが働く人自身にとっても「労働」として考えることさえできない状態になっているということだ。彼女がインタビューした人の多くが、上に挙げたような負担を訴えつつも、これに何らかの対価や補償を求めるのではなく、生活を成り立たせるためのある種の「必要悪」として甘受している。これはもちろん、こうした働き方を選ぶ人の組織内での立場が弱く、しばしば他に選択肢がないからだ。

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