ベッドで交わす「愛」と「仕事」 働き方改革がもたらす終わりのないホームワーク

【この記事のキーワード】

「仕事を愛する」ということ

「在宅ワークは、前もって締め切りを定める職場の文化を変えはしないし、家事の負担を共有したがらない夫たちを変えたりもしない。テクノロジーによって促進されたフレキシブルな職場環境は、単に長い勤務時間を可能にする機会を作り出すだけだ。支払い労働時間が過ぎたからといって、仕事にフタがされることなんてまずあり得ない」とグレッグは主張する。過労とハラスメントから自殺を余儀なくされた電通の新入社員を挙げるまでもなく、現代の日本において、長時間の時間外労働や休日労働を可能にする労使協定、いわゆる三六協定の見直しが必要なのは言うまでもないことだ。けれどこれをテレワークに基づいた現在の「働き方改革」に従って改正したとしても、その行き着く先は、言ってみればもはや残業としてすら認められない、終わりのない「ホームワーク」でしかない。

そしてこうした組織的なサポートなしの「変革」の負担を被ることになるのは、多くの場合、この「変革」の受益者であるべきはずの働く女性、とりわけ働く母だ。上司・同僚やパートナーの理解と協力、在宅ワークについての職場全体の態度、新しいテクノロジーについての組織的教育や技術的サポート、メール管理についてのガイドライン、保育制度の質・量の向上など(これらのリストはまだまだ続くだろう)が得られない限り、「働き方改革」は、単に家事とテレワークという二重の「不払い労働」の常態化でしかありえない。

もちろん、それでも彼女らがこうした働き方を選ぶのは、生活を成り立たせるために他に選択肢がないことがほとんどだろう。けれど同時に、メールやツール管理に関しての公的なガイドラインを与えられず、LINEで雑談交じりに業務の進捗を報告し合うとき、彼女たちは自分たちのやることを、与えられた仕事ではなく、仕事以前の当然やらなければならない「タスク」として、自ら積極的に引き受けていく。

この状況は、いわゆる「やりがい搾取」と呼ばれるあり方と何ら変わらない。グレッグの調査対象者の大半が図書館員、若手研究者、デザイナーなどの低賃金知的労働者であることもあって、彼女らは現状を受け入れる理由として、単純な経済状況に加え、自分はこうした「仕事を愛している」のだということをほとんど必ずのように口にする(グレッグの本のタイトルにある “intimacy” という言葉は、普通は恋愛や性愛などを指す)。仕事から得られる充足感や社会的意義は、金銭報酬や安定した社会保障の穴埋めをするに十分なものなのだ、と。こうしてうたわれる「仕事への愛」は、特にいわゆる「ブラック企業」に顕著なように、賃金抑制の常態化、無償の長時間労働、不安定な雇用形態といった搾取構造を支えるものであるのはもはや言うまでもない。

もちろん、仕事にやりがいや充足感を抱くことはそれ自体素晴らしいことだし、スティーヴ・ジョブスの言うように、「自分がやっている仕事を愛すること」はいい仕事をするための条件なのだろう。けれど、コミュニケーション・テクノロジーの発達によって、ベッドの上で愛する人と過ごす代わりに愛する仕事をするとき、「仕事を愛する」っていうのはどういうことなのか、もう一度考えてみなくちゃならない。

ジョブスの言葉が今後ますますリアルになるのは、私たちが生きようとしている社会が、ほとんど文字通り「仕事」と「愛」が分けられなくなっていく社会だからだ。「子供の宿題を見ながら作業をする」とき、私たちは愛の名のもとに、賃金の支払われない「仕事」をする。愛する家族との生活のために、ほとんど同じような仕方で仕事を愛し、いくつもの不条理を自ら引き受ける。あなたは愛には支払われなくてはならない代償があることを知っていて、愛のために喜んでそうした代償を引き受ける。けれどそうした代償は、ひょっとしたらあなたが信じているほど絶対に支払わなければいけないものではないかもしれない。
(Lisbon22)

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