すでに苦しい「家族」をいっそう縛りつけ罪悪感をもたらす憲法第24条改正案に反対する

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 そもそも“男女性別問わず相思相愛のカップルの好意”と“結婚”と“血縁”と“家族化”は、すべて別層に収まるトピックスである。順に“感情・趣向”“制度”“子孫繁栄”“生活トライブ”と解釈するとして。すべてをまるごと“憲法”(およびそこから派生すると推測される法律)のもとに統合しようとする目論見が、人道主義の観点より乱暴であり、「人間として鈍感すぎる」。家族はあくまでもプライベートの領域にある。公私混同も甚だしい。

 現状を鑑みたうえで“命のリレー”を行うのであれば、非嫡出子に嫡出子同様の待遇権を与える政策や、養子縁組による共生生活の活性化を促進する方が、現実的かつ的確ではないだろうか。シェアハウスや終末医療を組み込んだ老人ホームの在り方など、“家族外”だからこそ快適な集合生活の概念も生まれる中、“感情・趣向”“制度”“子孫繁栄”“生活トライブ”のすべてを家族に背負わせるのは非現実的かつ時代のニーズにそぐわないと考える。

 しかし、移民問題に揺れるEU諸国や、トランプ氏の米国次期大統領当選等、世界はグローバリズムの多様化社会へのバックラッシュより、保守傾向を強めている。むしろ“個”の尊重と多様性への寛容さを訴える方が時代遅れな空気も醸されている。が、“国”や“家族”といった集団単位の締め付けが強化される今だからこそ、人間ひとりひとりひとりの“個の底力”が試される時代なのではないだろうか。かくいう当方の持論を根拠に、「いや、おまえ個人の意見など要らない。むしろ、木の話ばかりして森を見ないおまえみたいな個人主義者が、“国”や“全体”の意識・質を低下させた結果論としての体たらくが現状。その問題点を解消するために浮上した奇策が“家族保護”である」と仰る改憲派の方々もいらっしゃることだろう。

 水掛け論になってしまうのでこれ以上の反論は控えるが、最後にひとつだけ、「“家族保護”を正当化したいのであれば、私を説得してみろ」と申し上げておきたい。この私の思想を一変させる、憧れの森の姿を見せつけてみろ。あるいは、人間のプライバシーや尊厳に雑に触りたがる者の最低限の礼儀として、家族に悩まされる人の相談窓口を増やし、カウンセリングを無料にしろ。シェルターを増やし、“家族保護”条項に虐待される者を保護する施設も併設しろ。そんなに“家族”を守りたいのであれば、税金をじゃぶじゃぶ使え。

 「いや、それ以前に個人主義者であるおまえの持論なんか知らない。おまえの“個人”の意見なんか必要ないし、誰もおまえに興味なんかない。何様?」と叩かれたとして。忘れてもらっては困る。当方は己の命と幸福のために個人主義を選択した者である。個人主義者の個語りは、日本人にとっての日本語のごとく。“私”よりも“全体”を主語に据えて語りたい愛国保守層も、“私”の意見を推す“行き過ぎた個人主義”も、この日本という国の同時代に生まれた人物である以上、対等だ。

 主義主張を取り沙汰せずとも、社会の中で起こる“個”と“全体”のせめぎ合いは、人間個々と周囲が“どちらとも”快適に生きるための温度感を探る尊い行為である。探り合いゆえにエラーも生じるが、だからこそ人間らしいと呼ぶに相応しいトライアルを寛容に行える日本であってほしいと、私は願う。

(林永子)

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