社会

人と関わるための洋服の力 氷山の一角「バリコレ」から広がる多様な社会

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洋服の話にもどす。服を買うためには外に出る必要がある。ネットで買うこともできるが、誰かに見せないと似合うものがなんなのかわからない。だから人に会うために外に出る必要がある。どんな身体であっても外出のできる環境作りも大事だ。また、お店側からの受け入れ体勢がうかがえないと、洋服を買いに向かえない。「他人とちがう」という意識に囚われた人々にとって、どんな身体をしていても、生き方をしていても、気兼ねなく対応してくれる店は足が向かいやすくなるだろう。

再びわたしの話をさせてもらいたい。

極度にアイデンティティが定まらなかった時期を過ぎ、生き方を求めて東京の大学に進学すると、20歳になる前くらいにハイファッションにハマった。大学の近くに品のいいセレクトショップがあり、店員の方からロンドンやニューヨークやベルギーのブランドを教えてもらった。

そうして洋服を好きになると、ほとんどの服は、男女の肉体の性差を基本に作られていると気づいた。つまり女性は胸があって腰が張っていて、男性は肩幅や胸板ががっしりしている人が多い、という傾向をもとに作られている。わたしがかつて着ていたNICE CLAUPのニットは身体にぴったり張りついて、むしろ胸板と肩幅を強調していたのだ。もちろん好きな服を着るにこしたことはないけれど、それ以上に、じぶんのそのときの身体に合ったものを着るほうが良い。

ファッション誌を熱心に見るようになると、ごつごつと骨ばって薄い胸をしたスーパーモデルの身体に憧れ、肩幅が広くて、豊満な胸ではないけどシリコンなど入れる気のないじぶんのままでもいいのかもしれないとおもうようになった。

ジバンシィ、ディオールなど世界的なハイブランドも手がけたことのあるジョン・ガリアーノは、自身のブランドの2006年春夏コレクションで、巨人症、低身長症、豊満な体型、老人などのモデルを起用したショーを見せてくれた。スーパーモデルや役者など著名人が美のスタンダードや憧れになっているけれど、このショーのように、実際のわたしたちの社会にはいろんな体型の人々がいる。

「切断ヴィーナスのように表に出られる人は氷山の一角」と須川さんが言うように、義足に限らず、先述したように様々な障害や悩みを抱えた人々がいろんな制約があって、堂々と表に出られる人々ばかりではないだろう。11月22日には「パラフェス2016」が行われる。このように、スポーツを通して障害を持つ人々への関心は集まっている一方で、バリバラは以前、故ステラ・ヤングさんの使った「感動ポルノ」という言葉を引用し、〈「障害者×感動」の方程式〉として世間が消費してきたことを看破し、伝えた。この図式は、スポーツができたりおしゃれな障害者ばかりに注目が集まることへの懸念にも、そのまま当てはまりそうだ。もちろん、光をあてるきっかけになる取り組みだとおもうが、流行に終わってほしくはない。

それでも、様々なハンディキャップを持つ人々が、衣服をまとい、楽しめる未来を夢見る。そのためには、街も、人々の意識も変わらないといけない。洋服をきっかけに、街の様子を眺め、どう変わるのが適切かを考えてみるのはどうだろうか。
鈴木みのり

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