社会

女性地位向上へのネガティブ・キャンペーンは、「女性優遇」が必要な理由を見落としている

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戦前の日本では「男子優遇」が当然視されていたため、戦後、教育基本法が交付されるまで、東京大学をはじめ、ほとんどの大学は女子学生を受け入れていませんでした。ごく限られた数の女性が女子師範学校、家政学校、帝国女子大学といった「女性のために作られた、女性らしい女性を育成するための教育機関」において高等教育を受けることを許されているだけでした。男性中心の社会では「教育は男子のもの」であり、女子教育の必要性など認識されていなかったのです。親たちも女子に教育が必要とは考えていませんでしたし、少女たち自身も女性の地位向上のために教育が必要であるということを認識してはいませんでした。

女子入学が許されていた一部の大学で女子学生が学ぼうとしても、差別や偏見とボロボロになるまで戦わなければなりませんでした。また、男子学生のために設計されている施設や教育カリキュラムで女子学生が学ぶことは、楽しく学生生活を送るという意味でも、意欲的に学ぶという意味でも、大きな壁となって立ちはだかっていました。男子が多いことが当然視されている大学や学部では、戦後も、そして現代までもその傾向は続いています。だからこそ、女子高等教育が限定されていた戦前に作られた女子大学・女子専門学校(大学)が戦後も存続し、現在まで続いているのです。

男性と女性で知能や学ぶ力、学び方に違いがあるということは証明されていません。それはむしろ科学的には明確に否定されています。

しかし、授業や課題に対する取り組み方では男女で違いがあることが、男女の教育差別が日本よりはるかに少ない米国などの研究でも明らかになっています。たとえば、教室で積極的に質問をしたり、教師に話しかけたりするのは男子学生が多く、女子学生は周りの様子をうかがいながら、質問したり目立つことをためらう傾向がみられるそうです。また、グループ課題などで、男子学生は「自分の役割、手柄」を強調する一方、女子学生は「グループの成果」を強調する傾向があるそうです。さらに言うならば、指導教官との関係性においても、教授には男性が多いこともあり、学生と教授の双方の遠慮から、男子学生と男子教授ほど親密にはなりにくく、結果として、女子学生は教授との一子相伝的な指導を受ける機会を失っているという説もあります。

また、親元を離れての大学進学でも、親の側が「女の子なんだし、そんなに無理して遠くの大学まで行かなくても」と、「心配」する形で娘の自由選択を奪っています。女性らしく聞き分けのよい女子生徒であればあるほど「親がそういうなら」と、おとなしくいうことを聞いて地元の大学に進学するのです。

こうした男子学生と女子学生の違いは、大学生になっていきなり始まるものではありません。家庭や小中高の教育を通じて段階で徐々に刷り込まれていく社会的性差によるところが大きいのです。「女性らしさ」とはおだやかさ、やさしさ、従順さ、協調性といった、常に周りを慮りながら目立たないように、波風を立てないようにする話し方やしぐさ、性格、態度です。こうした指向性を持つように育てられれば、当然、中学や高校の女子生徒は、勉強でも普段の生活でも、周りに合わせようとします。周りが「勉強なんていいよ」と言っていれば、勉強はそこそこにしかしないし、周りが「死ぬほど勉強して絶対にトップになってやる」という人ばかりであれば、死ぬほど勉強するわけです。そして、こうした男女の違いは、社会人になってからも延々と続くのです。

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