戦前、戦中、戦後と参政権や女性地位向上のために闘ってきた女性もいましたが、結局、戦後、アメリカ(国連)の介入による制度改革を待たなければ、女性に参政権も、男女共学、つまり女性も男性と同じように学べる機会も与えられませんでした。上からの「鶴の一声」でしか、女性の地位は改善してこなかったのが、日本の現実なのです。
だからこそ「痴漢はやめましょう」という呼びかけ程度で改善しなかった痴漢問題に対して、電車会社が「女性専用車両」を導入しなければならなかったし、女性の地位が一向に改善しない状況に対して「女性活躍」を政策に盛り込まなければならなかったのです。男性の良心に訴えかけるだけでは、女性を取り巻く環境が変わらなかったからです。
女性が強姦されても「女性の側にも非があった」と責められるのが日本です。つまり、男性は女性に暴力を振るおうが、女性を強姦しようが、女性を差別しようが、社会的にも物理的にもたいした制裁を受けずに済む社会であり、男性がとんでもなく高い下駄をはかせてもらっているのです。
男性に大黒柱となるべきプレッシャーがのしかかるのは、日本の男女賃金格差や女性管理職比率の異常なまでの低さ、非正規雇用に占める女性比率を考えれば「当然」です。それを問題視するならば、まずは雇用差別を撤廃する必要があります。
大黒柱として十分な給与を保証するような大企業ではエリート大学出身者を中心に採用しています。しかし、東京大学をはじめとする日本のエリート大学の女性比率は2割から3割と低いのが日本の現状です。スタンフォード大学やハーバード大学の女性比率が5割であることを考えれば、日本は税金を使って男女不平等を再生産しているようなものです。
女性に経済力をつけさせれば、それによって家庭内・社会での発言力も増し、政済界に進出する人も増えていくでしょう。エリート男女間の差別を撤廃することによって、ロールモデルとなりうる女性の数が増えていくはずです。まずはエリート女性からというのもおかしな話ですが、社会システムの在り方を決めているのがエリートであることを考えるなら、その層の半分が女性になれば、徐々にそれ以外の層にも女性が増えていくはずです。
そして、最も重要なことは「普通」の女性たちが受けている日常的な差別、誰も差別と認識さえしていないようなささいな女子力や女らしさといったプレッシャーを排除していくことです。たとえば、女性専用車両や女子大の存在というのは、女性が女性であるというだけで受けなければならない差別や犯罪被害から解放される、数限られた場所であることを男性にこそ理解してほしいのです。
男女平等の追及に女性優遇を使うべきではないという主張は、たしかに理想でしょう。また、男性が様々な形で受けているプレッシャーやそれによる苦痛も否定はしません。しかし、地球の人口の半分を占める女性に対して、歴史的な構造的差別が存在し、それがいまだに解消されていないということを女性も男性も、決して忘れてはいけません。