社会

美しく豪傑な女性の価値が、「強い子供を産めそう」で決められた中世 女性に「母性」を求める「家」はもういらない

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一方、平時の女性の社会活動はどうだったのかと言うと、意外に自由である。

戦国期の職人たちを絵にした「職人歌合」を見ても、食料品や衣料品を売る商人は多くの場合女性の姿で描かれており、当時の社会において女性商人が珍しくない存在だったことが分かる。中世京都において、染色に使う「紺灰」の購入権を独占した四つの問屋のうち一つの店の主が「加賀女」という女性だったという記録も残っている。せわしない京都の街角で、女主人が商売に精を出す風景を想像できそうだ。当時は、「妻が家事・育児を担い、夫が外で働く」というはっきりとした性別役割分業はなかったように思われる。

また、中世の女性に土地の相続権があったことは有名で、土地の揉め事の際も提訴する権利は男女に等しく存在していた。先ほどの板額御前の故郷・越後では、城一族の戦の80年ほど後、意阿という尼が裁判を起こしている。父親の道円が遺した所領の相続について不満を感じた意阿は、土地の配分を記した道円の遺言状が間違っていると言って幕府に訴え出たのだ。その他の相続人である三人の甥は初め結束して意阿と対立するが、そのうち仲間割れしていがみ合うようになり、裁判は泥沼化する。仔細はあまりに複雑なのでここでは省略するが、意阿の訴えが棄却されて一応の決着が着くまで、3度の裁判と16年の歳月を必要とした。

この3度の裁判のうち、1度目と2度目は意阿が自ら起訴したものである。肉親と猫の額のような土地を奪い合うのは鎌倉時代末期にはよくある光景だが、男の親族と張り合う意阿のたくましさには目を見張るものがある。棄却はされたものの、そうした訴えを起こす程度には、女性の権利が確立されていた、といえるかもしれない。

ただし、中世で女性が土地を相続する場合、その多くは本人一代限りの所有という条件付きだった。土地は常に「家のもの」であり、一族の中で伝えていく大事な財産なのだ。男女ともに家のために生きるのが、この時代の習いである。

「家」を単位に経済・政治活動を行う中世社会において、女性の地位は思いの外低くなかった。しかし、その身分は「家」の構成員となる子供を産む能力が女性にしかないがゆえに確保されていたものだ。社会における「家」の役割が低くなればなるほど、女性は母性から解放される。それは時代が下るにつれ、僅かずつ達成されてきたはずだった。

はっきり言おう。21世紀に社会が女性に母性を望むことは時代錯誤である。前近代から使い古された物差しは捨てて、我々は次へ進まねばならない。

参考文献
加藤美恵子「日本中世の母性と穢れ観」塙書房、2012年
田端泰子『日本中世の社会と女性』吉川弘文館、1998年
脇田晴子『日本中世女性史の研究』東京大学出版会、1992年

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