
心から愛を信じていたなんて
自分が他人からどう思われているか、でも自分自身はどう思っているか、について語る3人。“人は誰しも、自分の思うようにしか他者を解釈しない”という流れになりつつも、そこでうさぎさんが自身の「デリヘル体験」を話し出し、二村さんはAV業界が直面する問題を提唱し……。偽悪とセックス・妄想とノンフィクション・人権と価値観――が錯綜する第3回です。
「実際の自分より素敵に思われるのが嫌」(枡野)
中村 私ね、フィクションかフィクションじゃないかについては物凄くこだわりがあって。たとえば私のエッセイを「これって私小説ですよね?」とか言われて、激怒したことがあるの。私は私小説がまず嫌い。つまり、私小説はズルいと思うの。だって事実と嘘を織りまぜて書いてさ、そんなの自分に都合よく書けんじゃん。
枡野 そうなんですよ!
中村 それで「これ嘘じゃん」って言われたら、「でもこれ小説ですから」って言えるじゃない。そういうエクスキューズをいつも残してるから、私は私小説が嫌い、大嫌い。読まないし。なんかその上で、自分の書いたことが私的には全部本当のことなのに「これは私小説ですね」って……。しかもさ、エッセイより小説のほうが格が上だと思ってる人が世の中にはいっぱいいて、褒め言葉のつもりで「私小説ですよね、こうなったら」なんて。もう「違うよッ!」ってひとりで頑固オヤジみたいにぷんぷん怒っちゃってさ(笑)。わかってもらえないんだけど。ただ私は本当のことを書いてるから、これ(『あとは死ぬだけ』)は小説じゃないと思っています。
枡野 そっちのほうが価値があると思ってらっしゃるわけですね?
中村 価値があるというか……
枡野 自分にとっては真実?
中村 いや、これを「私小説」と言ったら、半分嘘かもしれないと思われるのが嫌なの。
二村 この原稿においては本当のことしか私は書いてないっていう……
中村 そう。書いてないから。私小説として出したらさ、「自分に都合よく嘘も書いてんだろうな」とか思われるのがもう癪にさわって癪にさわってしょうがないのさ。
二村 そこだよね。「自分に都合のいいこと」ってのがつまり“フィクション”と言っても“嘘”と言ってもいいけど……
枡野 そこは僕も、実際の自分より素敵に思われるのが嫌なんですよ。穂村さんは実際より素敵に思われてもいい人なんですよ。
二村 や、僕もそうなんですよ。
枡野 僕は「そんな素敵じゃないですよ」って言いたくなっちゃうの。「あなたは枡野を素敵に思いすぎてるから、違うよ」っていうのが僕の気持ちよさだから。そこはね、だからうさぎさんの側にどちらかというと近い。
中村 でも私ね、自分がこうである以上に自分を良く思われるのも気持ち悪いんだけど、なんていうのかな、たとえばさ、私が「悪ぶってる」と思ってる人もいるわけじゃん。それも凄い腹が立つのね! 「偽悪ですよね」とか言われたら! だって本当にこんなにドロドロしてるのに、それをなんで嘘だと思うのかって思うわけ。なぜみんな私に対して「嘘ついてますよね?」みたいに痛くもない腹を探ってくるのかがわからない。
枡野 ほんとにねえ……。でもたぶん、(嘘ついてますよねと言ってくる人は僕やうさぎさんが)自分とあまりに違うから、理解しようと思ってそう言ってくるのかもしれませんね。こんなこと人は言うはずがないから偽悪なんだろう……とか解釈しちゃうんじゃないですか、無理やりにでも。
中村 私は「買い物依存症」だった頃でも、どれだけ買い物したか、金額も含めてぜーんぶ本当のこと書いてるのに、「いやいや、あれは、そこまでやるはずはないから、大袈裟に書いてるんだろう」とかさ。
枡野 言うよねえ~。
中村 本当にさ、大袈裟でもなんでもなくてさ、預金通帳見せてやりたいよみたいな話よ。毎月どんだけ引き落とされるか。私にしてみたらさ。
枡野 僕も、もっとエッセイっぽい本で『淋しいのはお前だけじゃな』[注]というのがあるんですが、それもエピソードは全部実話なのに、読む人にとっては「現実はこんなにドラマチックじゃないから嘘でしょ?」って言うんですよ。もう逆に「あなたの人生つまらないですね」って言いたくなっちゃう。僕、記憶力がないんで時間軸は間違えてるかもしれないんですけど、全部ほんとのことだし、意図的な嘘は一切ないんですよ。そこはもうみんな、自分の好きなようにしか解釈しない。たとえば僕がスキンヘッドだったときがあって、それをみんなが「なんで(スキンヘッド)なんですか?」って聞くの。ひとつは手術をして(髪の毛を切ったから)で、ひとつは似合うからだったの。でもそう言っても信じてくれなくてみんな。「浮気したんでしょ~?」「仕事で失敗したんでしょ~?」って。
二村 なにかの謝罪のために頭を丸めたと。
枡野 それは僕から言わせると、「浮気したんでしょ」という人は浮気性の人、「仕事で失敗したんでしょ」という人は仕事の人。っていうふうに、みんな自分の中で理解できるようにしか納得しないんです。どんなに僕が「似合うからしてる」って言ってもわかってくんないの。「そんなの嘘でしょ」って。そういうことをテーマにした小説が今度の芥川賞を獲った『コンビニ人間』(村田沙耶香・著)という小説で、主人公はコンビニで働いてコンビニと同化することで初めて人間として普通にふるまえることがわかってつつましく生きてるんだけど、周りの人たちが「なぜ三十過ぎなのにコンビニで働いてるんだろう」って勝手に推測していく様がすっごく面白く描かれてるんだけど。みんなが勝手に「事情があるんだろう」って言って来たりとか、「男ができたのか」とか詮索してきたりとか……。それ読むと、主人公の方がまっとうで、勝手に解釈してくる人の方がなんておかしんだろうと思うんだけど……。
二村 僕ね、『コンビニ人間』買って、まだ読んでないんだけど、作者の村田沙耶香さんとは一度だけ会ったことがあって、本当にコンビニの店員さんなんだよね。「ドーナツが売れないんですよ~」って(笑)。芥川賞を獲る人の言うことじゃない……って思っちゃうのがこっちなんだよね。こっちが勝手にそう思ってるだけで、村田さん、本当に面白い小説を書くんだけど本物のコンビニの店員さんなんだよねえ。
枡野 その小説の中盤なんだけど、主人公がある男性と交流があると臭わせただけで、その日はコンビニで大事なフェアがあったのに、店員も店長もみんなが男性に興味持っちゃって、「本来ならコンビニのフェアを気に掛けないといけないのに、なんで私の事になんか興味持つんだろう」って不思議がるの。その様がすっごい面白いんです。ほんとに人間って自分の中の量り・物差しでしか解釈しないんだなって。人にすべてを理解してもらおうと期待してるわけではないんですけどね。
中村 他人の勝手な解釈によってどんどん虚像が作られていくみたいなところってあるじゃん。まぁ、私たちの仕事だとどうしてもさ。
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