「今が一番面白い」。40代の自己肯定、自分の本音を自分に尋ねてやる大切な作業を続けていく

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個人を語らない国の加齢蔑視

 日本の女性に対する加齢蔑視観は、長きに渡る男性優位・男尊女卑社会の中で育まれた市場原理の影響が色濃い。家制度や金銭取引のための結婚が成立した時代、家族の繁栄のために売り買いされる道具としての女性たちが存在していた。出産・育児はもちろん、労働力も見込まれる以上、若くて丈夫な娘に市場人気が集中した。その後、自由結婚が約束された世においても、市場で望ましい結婚適齢期の統計に基づき、独身で働く女性に対する「行き遅れ」、加齢蔑視の「賞味期限切れ」といった侮蔑の台詞が流布された。男性に優遇されるために若さを利用する女性も数多く、現在もアイドルや性産業の低年齢化が市場取引の一つの売りとなっている。

 現代女性は、「もう25歳だから、ちやほやされない」(お蔵入りCM、資生堂『インテグレート』より)、「もうすぐ30歳なのに結婚できないどころか彼氏もいない私、やばい」と、自らの年齢を根拠に悲観する。その年齢観は、加齢蔑視の浸透の流れや、女性たちの声を反映しているつもりのメディアが雑に扱う情報に依拠した価値観であり、「個人の主語を明確にしたうえでの主張」が反映されていない。

 すべての「25歳以上の女性が」、ちやほやされないわけではない。「もうすぐ30歳の女性」の正解が、結婚し、パートナーを得る選択のみである事実もない。この発言を、主張した個人を主語に翻訳すると「私は、女性は30歳までに結婚するものだと思っているので、できそうにない自分に焦りを感じている」となる。人の目も気にしているであろう主張より、もう一歩踏み込んで自分の問題に置き換えてみると、「私は30歳までに結婚したいのに、できそうにない。やばい」である。自分の主張や問題意識の当事者性が、年齢の全体主語の森の中に隠しているのだ。

 社会に現れる傾向やメディアの情報は、全体主語を用いて個を雑に括ることが得意だ。が、全体主語の言説などほとんど虚構だ。しかし、加齢蔑視や悲観に流される者が一定数存在する背景には、その手の全体言説を妄信する前に、「私は、どう思うのか」、今一度自分事として受容し、語る者の少なさが反映されているのではないか。つまり、主体性をもって生きる個人の誇りを、全体が有耶無耶にしているのだ。

 現在の自己責任社会は、良くも悪くも、自分の正解を自分で作る以外に、幸福を獲得する手だてがない。その点、強者の命や多数決の結果に従って生きる方が楽な方々の不安な声もよく聞く。が、如何なる趣向の持ち主であっても、自分の人生をより良くするために、自分の本音を自分に尋ねてやることは、とても大切な作業であると私は考える。

 その際、自分の希望や至らない点を、過不足なく、有り体に肯定することが肝要だ。自己肯定とは、自分大好き! 最高! とアッパーなテンションで自己を正当化する活動ではない。他者や世間の意見を気にするバイアスを外し、自分の弱点や悩みを無駄に憎まず、「それもまた自分の一部」として静かに受容する内省活動である。悲しみも、不調も、戸惑いも、「現在の自分が自分らしく生きるうえで必要な要素を知らせてくれるヒント」として冷静に受け止めてみると、自ずと「実際に自分がやらなければならない次のステップ」が見えて来る。後は実行あるのみ。この状況に至れると、「惑い」は軽減する。

 加齢蔑視や男尊女卑等の蔓延る社会に「否定されて来た」女性にとって、自己肯定は、自己否定よりもハードルの高い、難しい作業なのかもしれない。全体に依存せず、かえって個を全体より切り離す思索の作業が必要となるうえに、能動性も問われる。しかし、自己肯定を通過した暁には、固定観念から自分を開放するという素晴らしい体験が待っている。かく言う私自身も、まだまだ開放しきれてはいないが、少なくとも「惑わない」。仕事も、生きている証である不調も、老化も、全部ひっくるめて、私の現在の人生は「超、面白い」。何人たりとも、加齢悲観に引きずられることなく、何はなくともまずは自分が自分に寄り添う視点を忘れず、人生を笑顔で謳歌してほしい。

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