男同士で傷を舐め合ってもいいじゃないか! 「男らしくない男たちの当事者研究」始めます。

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「男らしくない男たち」の曖昧さ

杉田 ダルクや綾屋さんの話も出ましたので、このコンテンツのタイトルにもある「当事者研究」について、少し確認しておきましょう。なぜ僕らは「当事者研究」というスタイルでこの企画をやろうとしているのか。当事者研究については、綾屋紗月さんと熊谷晋一郎さんの『つながりの作法』という、とてもいい本があります。綾屋さんはアスペルガー症候群(現在は自閉スペクトラム症)と診断された人で、『発達障害当事者研究』(医学書院)という本などを書いています。熊谷さんは脳性まひの当事者で、小児科のお医者さんでもあり研究者でもあります。二人は協同研究をよくしていますね。

まく そうですね。

杉田 これまでに様々なマイノリティの人々が積み重ねてきた当事者運動には、次のようなパラドックスがありました。「男/女」「健常者/障害者」などのカテゴリーの同質性を重視すると、個々人の特徴や違いを抑圧してしまう。他方で、個々の多様性や差異をあまりにも強調していくと、連帯や共感などのつながりが無くなってしまう。それでは個々の人間の違いや差異を認めた上で、それでも他者と繋がっていくための作法とは何か。熊谷さんたちはそれを「つながりの作法」と呼んで、そのための方法として「当事者研究」を挙げているんですね。

当事者研究とは、非常に簡単にいうと、自分たちの生き方を専門家や家族から与えられるのではなくって、仲間の助けを借りながら自分のことを自分でよりよく知っていく、そのために独自の研究をしていくこと。これについては、まだ決まった方法論や共通理解はできていないけれど、すでに様々な自助グループや社会運動の組織などで用いられています。

もちろんフェミニズムや障害学、患者学などの蓄積が前提になっていますが、「当事者研究」という言葉を最初に発明したのは、浦河べてるの家でした。浦河べてるの家とは、非常に有名なんですけれども、北海道浦河町にある精神障害を抱えた当事者たちによる地域活動の拠点です。2005年に『べてるの家の「当事者研究」』(医学書院)という本が出ています。先ほど名前が出たダルク女性ハウスとは、薬物・アルコール依存症から回復したいと願う女性たちを支援し、回復を手助けすることを目的に1990年に設立された団体のことです。

綾屋さんや熊谷さんは、べてるの家やダルクの実践を踏まえながら、当事者研究という方法を、色々と応用のできるものとして整理しようとしているわけですね。

まく 僕も、『つながりの作法』や『当事者研究の研究』(医学書院)で、綾屋さんや熊谷さんの書いた文章を読ませてもらいました。

杉田 当事者研究は次のように考えるわけです。人は、自分のことを案外よく知らない。経験の面では自分が自分を一番知っているけど、自分についての解釈をけっこう間違ってしまっていたりする。自分はこんな人間なんだと思い込んだり、こじらせてしまったりするわけです。なので、同じような経験を持つ仲間内で話し合いながら、自分に対する自分の解釈を変えていく。そしてさらに「個人の語り」を大事にしながら、それが積み重ねられてだんだんとデータベースになっていく。そうすると、もちろんそれを仲間(ピア)内でも共有できるけれども、仲間以外の、別の誰かや団体の参考にもなっていくわけですね。個人/仲間/データベースというダイナミックな回路があるわけです。

まく そうですよね。独りでやるのではなく、「仲間」と共にやる。それが、当事者研究。

杉田 べてる関係の本を読んで、精神障害以外の人々の団体や、遠く離れた地域の団体がそれを役立てているわけですね。その中で、当事者研究という方法論も、色々と改良されたり更新されたりカスタマイズされたりしてきた。

まく はい。ここまでを前提として、ここから、ですよね。

杉田 そうです。こうした当事者研究の方法を、「男らしくない男たち」を自称する僕らも学んでいけないか、と考えたんですね。自分たちなりにカスタマイズしながら。というのは、僕らは僕らなりに「男らしさ」という規範に日々苦しんだり、くよくよと悩んだりしているわけですが、一方で支配的な「男性性」を中心とした社会の構造はそう簡単には変わらないだろう。かといって、何もかもを自己責任のままにもしたくない。だから共通の悩みや葛藤をもった当事者同士(男らしくない男たち)の対話や関係性の中で、何かを変えていくことはできないか、と。

まく そうですね。

杉田 ただし僕らヘテロ男性は、どんなに男らしくなくても社会的にはマジョリティなので、そのへんはどうしてもうねうねした感じにならざるをえないかもしれません。

まく ちょっと一個確認なのですが……。僕たちは、「男らしくない男たち」という言葉を選びましたが、クヨクヨしている感じのある男というのが、僕と杉田さんに共通しているところなのかなとまず思うんですよね。こういう男って、マジョリティと言えるんでしょうかね? ここらへんが、結構モヤモヤと考え込んでいまして。

杉田 難しい話ですね。ヘテロ男性なので、属性としては間違いなくマジョリティでしょうけれど、心理的・実存的には「男であること」に自足も安心もできていない……。かといって、何らかの属性や符牒を抱えたマイノリティとも言えない……こういうのって、どういえばいいんですかね?

まく ……うーん、難しい! ふたつの考え方があるような気がします。「『男らしくない男』『ネガティブな男』『クヨクヨしてしまう男』は、マイノリティなんだ!」として当事者研究を進める道と「マジョリティだけど、当事者研究をやるんだ」と自己規定する道と。どちらの道を選ぶのか。そんな論点があるような気がしてるんです。

杉田 近年は、複合差別の問題とか、アイデンティティの複数性なども言われますよね。あと近年の男性性研究という学問では、男性性(マスキュリティ)の中にも複数のタイプがあり、覇権的男性性/従属的男性性などの段階があると。その辺りの細かい定義や設定については、我々も今後研究していくとして……

まく ええ。

杉田 さしあたりは、「男らしくない男たち」という概念を、マジョリティとマイノリティの中間にあるような、それらの間で揺れ動いているような、曖昧でファジイな概念として考えておきましょう。そこから見えてくるものを考えていこう……というか。

まく はい。今日の対話で言えば、僕は、ふだんモヤッと考えていたことが、やっと言葉になってくれたような、そんな爽快感がありました。こういう対話を続けながら、そのへんのことも考えられたらな、と思ったりしています。

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