先月、東京大学が女子学生に3万円の家賃補助を来春から導入することが話題になりました。前回「日本のトップスクールが男女不平等を拡大させているという罪」に書いたように、東京大学は日本で公教育支出を最も多く受け取っている高等教育機関にもかかわらず、世界的にも最も男女比が歪なトップスクールの一つとなっており、日本で公教育支出が男女間で不平等に配分されている象徴となっています。
女性が一人暮らしする場合、一階には住みづらい、明るく人通りの多い場所が望ましいなど、住居のセキュリティに対するニーズが男性よりも高くなります。今回の家賃補助という実質的な奨学金の支給は、“ジェンダー平等”を超えて“ジェンダー公平”を狙った策であり、また公教育支出の男女不平等を是正するものとして有効な手立てとしても評価できるものでしょう。
女子学生を対象にした家賃補助に対しては「悪平等である」「女性優遇である」といった批判や、「試験の結果だから仕方がない」といった批判がありました。前者の批判は、そもそも公教育支出が男女で不平等になされているという事実を見落としていますし、後者の批判は国際学力調査で日本は他国と比べても男女間の差が小さい・女子の学力が高いのに女子の進学行動に課題を抱えているという点を見過ごしているだけではなく、そもそも教育は社会の格差を拡大させるため、戦略的な介入が必要であるという点を見過ごしています。
そこで今回は、なぜ教育が社会の格差を拡大させるのか、日本で公教育支出がどの程度男女間で不平等になされているのか、これを克服するためにどの程度「女子専用の奨学金」に支出すべきなのか、話をしていきたいと思います。
教育は基本的に社会の格差を拡大させる
よほどのことが無い限り、教育は社会の格差を拡大させます。なぜなら、社会経済ないしは社会慣習的に有利な背景を持つ子供ほど教育を受ける年数が長く、より長期間にわたって税金による人的資本投資の恩恵を受けやすいのに対して、不利な背景を持つ子供ほど、より早く教育システムからドロップアウトしてしまい、公教育支出を受け取る期間が短くなりがちだからです。
これを防ぐ手立ては二つあり、一つは不利な背景を持つ子供たちでも教育にアクセスできる、より早期の教育段階に対して手厚い公教育支出を施しつつ、より高次の教育段階で富裕層の私費負担を増やすことで、もう一つは有利な背景を持つ子供と不利な背景を持つ子供に対する公教育支出が等しくなるように、不利な背景を持つ子供たちに奨学金を提供することです。この手法は貧困層と富裕層、男子と女子、多数派民族と少数民族など、様々な格差問題に適応することが出来ます。
注: 授業料の無償化は人気のある政策ですが、無償化をしても不利な層は間接費用や慣習的な壁の存在によって、就学率が有利な層と等しくはならないため、不利な層よりも有利な層を利して、社会の格差を拡大させる可能性がある点に留意が必要です。男女比を事前に決めるクオータ制も均衡点を手っ取り早く達成できる手軽さから人気がありますが、学びを動機付ける作用を欠くため、金銭的なインセンティブで学びを促進し均衡点が達成されるのを待つ方が無難でしょう。
公教育支出の男女間の不平等は女子一人当たり45万円以上になる
公教育支出の不平等さを測る手法に便益帰着分析法というものがあります。この手法を簡単に説明すると、教育段階ごとの就学率を集団ごとに割り出し、教育段階ごとの公教育支出額をかけることで、教育段階を通じて各集団がそれぞれどれぐらい公教育支出を受け取っているのかを比較・測定する手法です。
日本は高校までは比較的男女平等に教育が行われているので、この手法を高等教育における男女間格差に適応してみましょう。なお以下の試算は、筆者が総務省統計局の人口推計データと文部科学省の学校基本調査から割り出した就学率と、日本私大教連の資料にある「大学種別の学生一人当たりの一年間の公財政教育支出」に基づいています。
この表の解釈の仕方を、私立短大の項目で説明します。左から2番目・3番目の就学率は特に説明の必要が無いと思います。左から4番目の列ですが、私立の高等教育機関は生徒一人当たり毎年14.1万円を、国公立は180.2万円を受け取っています。それゆえ、私立短大の生徒は修業年数の間に28.2万円の公教育支出を受け取ることになります。私立短大の男子の就学率は1%なので、この教育段階から男子1人あたりが受け取る平均公教育支出は2820円となり、女子のそれは24534円になるという計算です。
高等教育機会を通じて男子は1人あたり約155万円の公教育支出を受け取ります。一方、女子は約110万円しか受け取っておらず、女子は約45万円の不平等を受けている計算になります。この男女別の一人当たりの公教育支出受取額を、たとえば20歳の人口で掛けると、男子は全体で約9951億円、女子は全体で約6689億円の公教育支出を高等教育機会を通じて受け取ることになります。つまり、20歳の男女で比べると、政府は男子に対して女子よりも約3262億円多く支出している計算になります。話は少しそれますが、日本は高等教育費の私費負担割合が約64.5%と非常に高くなっています。このため、私教育支出をいれると、男女間格差はより大きなものになると推定されるので、労働市場に出てから男女間で賃金差が生じるのも良く分かるところではないでしょうか。
前述の通り、本稿ではこのギャップを埋めるために女子向けの奨学金を提供するものとします。どれだけの奨学金が出せるのか、シナリオは何通りも描けるのですが、中でも代表的な二つのケースを記述したいと思います。
女子専用の奨学金を何人にいくら渡すべきなのか?
シナリオ1:現在の男子並みの公教育支出を、国公立大学の女子向けフルパッケージ奨学金を活用して実施する
教育を受けるためのコストは、直接費用と呼ばれる授業料に加えて、間接費用と呼ばれる「教育を受けずに働いていれば得られたであろう賃金」があります。この二つを合わせると、日本の女子が大学教育を4年間受けるコストは約1270万円になることを第二回目の記事でお話ししました。
このコストをすべてカバーするということは、入学時に1270万円の奨学金を渡すことになります。上で言及したように、同年齢内で比べると、男子は女子よりも約3262億円多く公教育支出を受け取っているので、女子向けの奨学金を3262億円用意することにしましょう。これを用いて国公立大学の入学枠を拡大して提供した場合(女子学生への支払い1270万円+大学への支払い720万円)、16392人の女子に提供すると公教育支出が男女間で等しくなります。
シナリオ2:公教育支出額は一定に保ちつつ、公教育支出が男女間で等しくなるところまで、国公立大学で女子の授業料を免除する
現在の日本の政治状況を考えると、公教育支出を3262億円増加させることはあまり現実的ではないかもしれません。そこで、公教育支出額は増加させず、その配分が男女間で等しくなるようにします。一学年が高等教育機会を通じて受け取る公教育支出は約1兆6640億円なので、これを男女平等に配分すると約8320億円になります。現在女子全体が受け取っている公教育支出は前述のとおり約6689億円なので、これを埋めるために奨学金を1631億円用意することにします。国公立大学の入学枠を拡大して、直接費用(初年の納付金28.2万円+授業料53.6万円×4年間=約242万円)だけをカバーした奨学金を提供した場合、16946人に提供すると公教育支出が男女間で等しくなります。
この他にもいくつかシナリオを描くことはできますが、いずれにせよ、ここまでしなければ男女が受け取る公教育投資額が等しくならない=それほどまでに男女間格差が大きいということが重要なポイントです。もちろん、女子学生が増えるにつれ、このパッケージは額を減らすか規模を減らすかしていくことになりますが、最初の段階でこれだけのインセンティブを提示し、教育を受けるためのコストを0にすることで、女子の教育の私的収益率を上昇させれば、女子の進学行動に大きなインパクトを与えられるのは容易に想像がつきます。また、政府や大学が女子教育の推進に真剣に取り組むつもりがあるという態度を示すことで就学を目指す女性が増える効果も期待できるでしょう。
注意点を述べておくと、上の試算は次の3点を考慮に入れていません。 (1)理系の方がより多くの税金が投入されているが、女子学生は理系の方で少ない、(2)高等教育の中でもより高次の教育段階でより多くの税金が投入されていると考えられるが、女子学生は教育段階が上がるほど少なくなる、(3)国立大学の中でも旧帝国大学は公的資金の受取額が大きいが、他の国公立大学と比べて女子学生比率が低い。この3点はどれも男女間の公教育支出格差を拡大させる方向に働くという点を考えると、公教育支出は女子一人当たりに対して45万円の不平等が存在していて、同い年の男女全体で比較すると約3260億円の差が生じている、という値はあくまでも保守的な最低ラインであり、実際はこの試算より大きな値になっていると考えられます。
まとめにかえて―公教育支出は平等だけで十分か?
ここまで平等性の観点から公教育支出を考えてきましたが、公教育支出の計画を組むときにはより多くの観点からも考えなければなりません。
教育政策を考える際には「人権アプローチ」と「経済アプローチ」があることを第一回で紹介しました。日本の女子教育は、前者の点からは国際的に合意された持続可能な開発目標が「男女の区別なく高等教育への平等なアクセスを得られるようにする」と掲げられているにもかかわらず、これを達成できていないという問題をはらんでいますし、後者の点からは女子教育の高い収益率を無駄にして日本の発展を妨げているというという問題を抱えています。
そして、ここで3つ目の物差しとなる、「ケイパビリティ・公平性アプローチ」についてご紹介したいと思います。本稿の冒頭で「“ジェンダー平等”を超えて“ジェンダー公平”を狙った策」と書きわけたように、実は「ジェンダー平等」と「ジェンダー公平」は異なる概念であり、この違いを区別することは非常に重要です。両者の違いを説明する際によく用いられる話を紹介しましょう。
「足の障害で歩くことができない人と、そうでない人がいるとします。両者に平等に自転車を支給すると、後者の人は行動範囲が広がるなど様々な恩恵を受けることができます。しかし、前者の人は自転車を支給されても、せいぜい転売する程度でこれを活用することができません。一方、両者のニーズや需要の違いを考慮して、前者には車椅子を、後者には自転車を公平に支給すると、共に行動範囲を広げることが出来ます」
このように個々人が持つニーズや需要を考慮せず一律に対処することを女子教育政策で実施する場合、ジェンダー平等を狙った政策と言います。これに対して、男女で異なるニーズや需要を考慮して女子教育政策に取り組む場合、これはジェンダー公平を狙った政策だと言えます。
東京大学による女子学生向けの家賃補助は、まさにジェンダー公平を狙った政策でした。「悪平等である」という批判には、ジェンダー公平という視点が欠けているのではないでしょうか。日本ほど発展した国でもまだ公平性ではなく平等性の段階に教育政策議論が留まっているのは残念です。
今回は「試験の結果だから仕方ない」を放置すると教育は社会の格差を拡大させるという話もしましたが、次回は大学よりも下の教育段階に焦点を当て、「試験の結果だから仕方ない」の妥当性について考察しつつ、C4Dの観点から日本の女子教育の解決策を提示していきたいと思います。