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東京大学による女子学生家賃補助への批判が残念な理由 日本の女子達は3200億円程の不平等を受けている

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まとめにかえて―公教育支出は平等だけで十分か?

 ここまで平等性の観点から公教育支出を考えてきましたが、公教育支出の計画を組むときにはより多くの観点からも考えなければなりません。

 教育政策を考える際には「人権アプローチ」と「経済アプローチ」があることを第一回で紹介しました。日本の女子教育は、前者の点からは国際的に合意された持続可能な開発目標が「男女の区別なく高等教育への平等なアクセスを得られるようにする」と掲げられているにもかかわらず、これを達成できていないという問題をはらんでいますし、後者の点からは女子教育の高い収益率を無駄にして日本の発展を妨げているというという問題を抱えています。

 そして、ここで3つ目の物差しとなる、「ケイパビリティ・公平性アプローチ」についてご紹介したいと思います。本稿の冒頭で「“ジェンダー平等”を超えて“ジェンダー公平”を狙った策」と書きわけたように、実は「ジェンダー平等」と「ジェンダー公平」は異なる概念であり、この違いを区別することは非常に重要です。両者の違いを説明する際によく用いられる話を紹介しましょう。

「足の障害で歩くことができない人と、そうでない人がいるとします。両者に平等に自転車を支給すると、後者の人は行動範囲が広がるなど様々な恩恵を受けることができます。しかし、前者の人は自転車を支給されても、せいぜい転売する程度でこれを活用することができません。一方、両者のニーズや需要の違いを考慮して、前者には車椅子を、後者には自転車を公平に支給すると、共に行動範囲を広げることが出来ます」

 このように個々人が持つニーズや需要を考慮せず一律に対処することを女子教育政策で実施する場合、ジェンダー平等を狙った政策と言います。これに対して、男女で異なるニーズや需要を考慮して女子教育政策に取り組む場合、これはジェンダー公平を狙った政策だと言えます。

 東京大学による女子学生向けの家賃補助は、まさにジェンダー公平を狙った政策でした。「悪平等である」という批判には、ジェンダー公平という視点が欠けているのではないでしょうか。日本ほど発展した国でもまだ公平性ではなく平等性の段階に教育政策議論が留まっているのは残念です。

 今回は「試験の結果だから仕方ない」を放置すると教育は社会の格差を拡大させるという話もしましたが、次回は大学よりも下の教育段階に焦点を当て、「試験の結果だから仕方ない」の妥当性について考察しつつ、C4Dの観点から日本の女子教育の解決策を提示していきたいと思います。

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