シェイクスピア劇の魅惑のヒロイン、無限に変化する女王クレオパトラ

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クレオパトラに扮したフランスの大女優、サラ・ベルナール

クレオパトラに扮したフランスの大女優、サラ・ベルナール

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(ウィリアム・シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』、小田島雄志訳、白水社、2001、第4幕第15場51行目)

 前回は「読書会に理屈っぽい男は邪魔? 女性の連帯を強める読書会の歴史を探る」で性格批評、あるいはキャラクター批評と呼ばれている手法をご紹介しました。今回はウィリアム・シェイクスピア没後400周年記念の年である2016年最後の連載ですし、私が最も気に行っているシェイクスピアのキャラクターについて書いてみたいと思います。『アントニーとクレオパトラ』(Antony and Cleopatra)のヒロインである古代エジプトの女王、クレオパトラです。

異色のヒロイン

 『アントニーとクレオパトラ』は、エジプト女王クレオパトラとローマの三頭政治の一角であるマーク・アントニー(これは英語式で、ラテン語表記ではマルクス・アントニウス)の恋と政治的駆け引きを描いた悲劇です。2人は同じく三頭政治の一角オクテーヴィアス・シーザー(のちのアウグストゥス)との政治闘争に敗れ、自殺することになります。全体を彩る華麗で詩的な台詞が特徴の作品です。

 冒頭の引用からわかるように、この作品のクレオパトラは自分を信じて古代の政界をサバイバルしてきた極めてスケールの大きい女性です。政治家であり、恋する女であり、母でもあります。エジプト女王として国を治める一方、アントニーの前にはジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)やポンペイ(ポンペイウス)など、権力も器も並外れたローマの男たちと愛し合ってきました。クレオパトラについて、アントニーの臣下であるイノバーバスは「年齢もその容色をむしばみえず、かさねる逢瀬も/その無限の変化を古びさせえぬ女」(第2幕第2場245–246行目)と言っていますが、この「無限の変化」(‘infinite variety’)はクレオパトラの性格を最もよく示す言葉であるとともに、シェイクスピアの作風自体をも一言で表す言葉として有名です。

クレオパトラはシェイクスピア劇の中では異色のヒロインです。以前連載で触れた『十二夜』のヴァイオラのように、シェイクスピア劇ではセクシーというよりは若々しくて若干少年っぽいヒロインが活躍しますが、クレオパトラはこうした乙女たちとは全く異なる成熟したセクシーな中年女性です。シェイクスピアの時代のイングランドでは婚前性交渉や婚外性交渉をした女性に対してひどい差別があり、夫以外の男性とセックスした女性は売春を職業にしているかどうかにかかわらず‘whore’(娼婦)と呼ばれて社会的に排撃されていました。正式に結婚していないアントニーと内縁関係を続け、当時のイングランド、及び劇中の古代ローマ世界においては性道徳の面で許しがたい行動をとっているにも関わらず、自信に満ちた人間味豊かな女性として描かれているクレオパトラは、シェイクスピア劇の中でも特異な女性です。イノバーバスは「どんな卑しいものも女王にあっては美しく見えるのだ。/聖職者も女王のふしだらには祝福せずにはいられまい」(第2幕第2場248–250行目)と言っていますが、女性に対するダブルスタンダードやお堅い性道徳を超越した規格外のヒロインがクレオパトラなのです。

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