天使と聖母のくそ日記「正しいお母さんのルール」が満遍なく染み渡ったこの世界が気味悪い

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お母さんというルール

 授乳室には、いかにも優しげな音楽が流れている。意図的に流されている。Kiroroの「長い間」や、秦基博の「ひまわりの約束」などが、オルゴール音にアレンジされて、ゆったりとした調子で。これがまた、「授乳とは優しい時間なのよ。赤ちゃんとお母さんが絆を深める大切な時間なの」と押し付けられているようで、苦手だった。

 子供との絆の深め方や、育児の際の気分の持ちようなんて、その人に任せればいいのに、「赤ちゃんとお母さんは、こう!」と決め付けられているような気がした。別にボンジョヴィが流れてたっていいじゃない。

 そう考えれば、赤ちゃん用のオムツのCMなどもいつもそんな調子だ。

 淡い色で柔らかい素材の服を身にまとった、いかにも優しげな目の母親。嬉しそうに微笑む赤ちゃん。後から取ってつけたかのような「キュハハッッ」っていう合成の声。優しげで穏やかな調子のBGM。シーツの色は白。「今日はお出かけ~♪ あれっブリブリッ! うんち漏れがしんぱ~い><」みたいな“赤ちゃん目線!”を主張するかのようなナレーション。

 どこのメーカーのCMも大体これだから、どのCMが何のオムツを宣伝してるのかすら区別がつかない。横並びで個性のかけらもない各社のオムツCMを見ても、「育児とはこうである!」「母と子とはこういうもんである!」という、暗黙の正解が存在しているようにしか思えない。私は、その“暗黙の正解”に従った母親にはなれそうもなかった。

 出産してから4カ月が経つが、私は未だにオムツのCMのような、あったかくて柔らかくてほんのり幸せ~なお母さんの心境になった事は一度もない。他方、近い月齢の赤ちゃんがいる友人や、ネットの書き込みなどを見ていると、いかにも「白! オルゴール!」なことばかり言っている。

「最初は寝れないし大変だよ~でも、成長を見てるとそんな苦労吹き飛んじゃうの」とか。
「目元がパパそっくりなの。でも寝相の悪さは似ないでほしいな~笑」とか。

 本音なんだろうか? それともインターネットでも(インターネットだからこそ?)建前で固めているのだろうか。もし、私が「いやぁ~最近赤ちゃんのうんこがちょー臭くってさぁ。オムツ替えで吐きそうになるわぁw」とか、「世話ばっかでやっぱパチンコなんて打ちに行けないわぁw」とかネット上に書いたり、友人に直接言ったりしたらどうなるのだろう?

 別に、臭いからオムツを替えないとは言ってない。世話をせずパチンコに行ってるとは言ってない。単に思っている「事柄」として十分あり得る、あったっておかしくないはずの言葉を口にしただけ。でも、非難の目を向けられるのは必至だ。

 そう、そんなことは「口にしてはいけない」のだ。何らかの宗教に近い感覚。禁忌事項なのである。

 私は、授乳室のオルゴール音やオムツのCMや「ふにゃらら…ねっふにゃらら…ねっ」にはじまる、淡い色調・柔らかい音色のお母さん文化に馴染めない。子供は望んで授かり出産したけれど、“そういう文化”は気持ちが悪くて無理なのだ。

 赤ちゃんに関わることを話す際に使われる日本語も同じ。

・うんこ・排便→「うんち」
・授乳の時間・母乳を飲む時間→「おっぱいの時間」「おっぱいタイム」
・電話する→「もしもしする」
・(指しゃぶりの音)ビチュッグチュブチュ…ッ→「チュパチュパ☆」

 ぎゃーぎゃー泣いてうるさいから少し落ち着いてほしい、と思ったとしても、周りに誰かいたら「パパに似て元気ね♪(with聖母の微笑)」とかに変換しないといけない。赤ちゃん目線での言葉を使用するのがルール。でも、その主人公である赤ちゃん本人は、当然のことながらまだ何にもわかっていない。だから上記のような言葉を使って会話しているのは、大人同士だ。母親と助産師だったり、母親と父親だったり、母親と祖父母だったりが、赤子を挟むと、“赤ちゃん目線での言葉”を使わなければいけなくなる。

 私は、息子が大量に便をしてそこらじゅうに付けてしまったときは普通に「うっわきったねぇ~!」と言った。くしゃみと同時に顔に思いきりミルクを吐かれたときは普通に「うぉえっぷ!! オマッ!」と言った。よそのお母さんは家の中でも、そういう言葉は使わないものなんだろうか。テンプレ的には、「ごめんねぇ~ママ、気づけなかったね(苦笑)」とか「苦しかったねぇごめんごめんっ(泣)」とかが正しいんだろう。いや、正確に言えばこういったエピソードを世間に話す時にそうしなければ「ダメ」なのだろう、だ。

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